アート(笑)について思うこと

アートの公演にデリヘル嬢呼ぶな!

丹羽良徳がギャラリーにデリヘル呼ぼうとして怒られたことについての反応

この件で思い出したことを書く。

数年前、上海に行ったときのこと。一緒に行った年下の女性が当時カメラにはまっていて、上海の街行く人に声をかけて、撮影させてもらっていた。彼女は「目立つ人」に声をかけていた。主に外見的に優れた人だったけれど、それだけでは物足りなかったのか、路上でゴミ拾いをしているおじさんにも声をかけた。真っ黒な顔をして、自転車の荷台にたくさんのゴミを乗せた人だった。通訳を通して「撮影してもいい?」と声をかけると、おじさんはニコニコと「いいよ」と答え、彼女はパシャパシャとシャッターを切った。

撮影が終わると、おじさんは手を彼女の方に出して言った。「いくらくれるの?」と。

そのときの彼女のひきつった顔を今でも覚えている。

日本にいるときも、彼女はたとえば会社に来た配線業者の男性を「すごーい。かっこいい!」と言って撮影するような人だった。私はなぜそれが、自らの偏見の裏返しだと気付かないのか不思議だった。

彼女は言いたかったのだ。「世間は気付いていないけれど、私はあなたたちの美しさを知ってますよ」と。「私はあなたたちの美しさに気付ける人なんですよ」と。

押し付けがましいその自意識。私があのとき彼女に「それは差別だよ」と言ったとしたら、彼女は「これは表現ですから」と言ったのかもしれない。

昨年、とある女性アーティストの作品に関する記事を書いたとき、その女性から直接的にも間接的にも「なぜ記事を書く前に、作品の意図について私に聞きにきてくれなかったのか(意図を聞いてくれれば、そんな批判にはならないのに)」と言われた。

世の中に公開された作品について、作者の意図を聞かなければ批評(もしくは批判)してはいけないなんて初めて知った。それならその作品に、「この作品を論じたい場合は私に直接許可を取ってください」と書いておけばいいのに。

表現の自由は別にアーティストにだけあるわけではない。アーティストたちが「こういう表現は私にしかできない。ドヤァァァ!」と言うのであれば、私はそれに対し、「その表現、ダサくない?」と言うことができる。「アート(笑)」と言うことができる。冒頭の件に関しても関係者のみっともない反論を見たけれど、なぜ表現の自由を口にする人たちが、自分たちが批判されるときだけ急に狭量になるのか。反論するなとは言わないけれど、自分たちだけがアートが何であるかを決めることができると思っている、ように見えるのは一体何の特権意識なのか。

ゴミ拾いの男性を写真に撮った彼女の作品よりも、「いくらくれるの?」と言われてひきつった彼女の顔の方が、私にとってはよっぽど面白かった。ああいう顔を集めた写真集があるのであれば買いたい。悪趣味だけどね。


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Tamaka Ogawa

只今作業中

作業用倉庫。マガジンは21冊まででしょうか。

コメント3件

商業作家は常にレビューに晒されているのになぁ…
ほんとそうですね。。。アートの人たちは「アートの文脈を知らない人に批判されたくない」なのかもしれないが、そうなら絶対に世間の目には触れないアート村限定でやればいい。
マスコミが日本のジャーナリズムのレベルを下げているからでしょうね
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