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植物を育てるように、身体を育てる。

これは自律神経失調症とPMS (月経前症候群)を患う私の過去と現在を記したものです。原因不明と言われ続けたお先真っ暗状態から、ようやく取り戻しつつある健康に感謝しつつ、負の遺産ともいえる経験が誰かのお役に立てればと思い更新しています。

近ごろの疑問。

日曜日から始まった玉ねぎ収穫のお手伝い。連日お天気が続き、気づけば健康的な小麦肌に。今日は恵みの雨。半日の休息日でした。

近ごろ、収穫しながら、何度も同じ疑問が頭に浮かびます。

人間、自分が一番かわいいはずなのに、
なぜ自分を疎かに扱ってしまうのだろう。

玉ねぎを収穫しながらぼんやり考えるも、なかなか答えが見えてきません。欲望を持つ人間、誰しも自分かわいい心を持っているはず。なのに、自分のことを疎かにして、他人に尽くしたり、仕事に尽くしたり、やりたいことに夢中になったり。どれも素敵なことだけど、行き過ぎると多くの人が心や身体を損ねている気がします。

いろんな原因があるけれど、役割を全うしようとしすぎていたのかなあ。自分の経験や友達の声を振り返ると、四六時中役割に追われて自分を気にかけてあげる時間のない人が目立ちます。

大前提を忘れてしまう。

ママなら子を守る母としての役割、
パパなら家族を養う大黒柱としての役割、
そして仕事上での役割。

多方面からさまざまな期待を背負いながら生きていると目の前に必死になりすぎて、「健康であること」という生命を維持する上での大前提が埋もれてしまうのかもしれません。

仕事に溺れていた時のこと。会う人会う人に、身体を大事にね。健康が一番だよ。と言葉をいただいても、「身体を大事にする」その大切さは感じていても、どのように大事にすれば良いかわかっていなかったように思います。

食べてよく寝てたらなんとか生きていけた当時。でもそれは形だけで、体内では刻々と非常事態な化学反応が進んでしまっていました。食べ物は炭水化物ばかりで糖質過剰となり、ビタミンは不足して代謝も悪くなりエネルギーも上手く作れない。

育てる、という意識。

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ちょっと話が逸れますが、今年は玉ねぎが大豊作。大きくて病気のない綺麗な玉ねぎがゴロゴロ収穫できています。聞けば、天候に恵まれていたとのこと。植物が生き生きと成長するために必要なたっぷりの光、適度な水、肥えた土。植物を育てることと、同じように、身体も育てるという概念が必要だったのでは、と思います。子供は成長とともにいろんな身体的変化があるので「育てる」意識が高いけど、大人になると徐々に衰えるばかりで育てる意識はなくなります。そしてなんとなく不調が出るようになり、あれ?どうしたんだろう、と初めて立ち止まる。立ち止まってくれれば御の字で、それでも自分をないがしろにして走り続けることも。

身近な親類や友人のなかにも見ていて「そろそろ危ないなぁ…」と心配になる人が増えてきたので、完全に健康を損ねてしまうその前に、なんとか!阻止!と思いを込めて伝えます。

あなたと、あなたの身体を切り離して捉え、
植物を育てるように、身体を育ててほしい。

体内ではさまざまな化学反応が起きて、私たちの生命を維持しています。化学反応に必要な物質を作ったり、化学反応を起こしたり、また、制御したり。これら多くの役割をタンパク質が担っています。超精密なナノマシン。そして化学反応に必要なエネルギーは多くが細胞の中のミトコンドリアで作られています。十分なビタミンや酸素がなければミトコンドリアは上手く機能しません。

ナノマシンであるタンパク質と、エネルギー工場のミトコンドリア。この子たちを体内で飼っているとイメージすれば、育てる意識が芽生えるのでは、と近ごろ思い始めました。

ちょっと行き過ぎた考えかもしれませんが、タンパク質やミトコンドリアで起こる化学反応を知るとなんかもう神の領域、みたいに思えて生物ってすごいなあと。自然に敬意を感じるように、体内での彼らの働きに敬意を感じます。あぁ、自分って、こうして命を維持してこれたんだ、と。

私の回復ぶりに母が驚き、母もプロテインやビタミンを飲むようになりました。すると、いつも飲んでいる高価なサプリを飲まなくてもこの繁忙期でも寝込まず働けているとのこと。まずは身近にいる大切な人たちに、もっと知識を深めて少しずつ恩返しできたらな嬉しいな、と思います。

人間、自分が一番かわいいはずなのに、
なぜ自分を疎かに扱ってしまうのだろう。
冒頭の問いはまだつづく...

今日のひと作品。

レニングラード・カウボーイズ・ゴー・アメリカ
(1989年フィンランド/スウェーデン)
監督 アキ・カウリスマキ
 シベリアの架空バンド「レニングラード・カウボーイズ」がアメリカ、メキシコへと渡るロードムービー。4年前に初めて見て細かいことは全く覚えていないけど、あまりのシュールさに部屋で一人爆笑してしまった記憶だけが残っています。彼らの滑稽さに愛おしさを感じずにはいられない。力み過ぎているときに、彼らのシュールな姿と陽気な音楽を聴けば、ふっと肩の力が抜けるはず。


身体弱ヨワ系のみなさんの、お力になれますように。