あなたの話が聞きたくて

美術館デートがしたいんだと思いました

正解探しはもうたくさんです

どこにも間違いなんかなくて
全ては正解なんだけど

小学校6年
中学校3年で
○と×を刷り込まれ
個性は叩かれ続けると

「自分の意見」なんて
持つのもリスクに感じて
潜在意識レベルで生まれなくなるんだろうな

それでも僕はあきらめません

何でかな

僕が個性的でしかいられなかったからかな

社会(クラス)の中で
入りたくもないグループに入ることが
唯一生き残る方法だったとしても
僕は孤独を選びました

それはとても辛かったけど
入りたくもないグループに入る方が
それ以上に嫌だったから

実際、物理的に僕は死ぬことはなく
今日まで健康に生きた自分を褒めざるを得ません

で、美術館デート

作品に対しての感想を共有すること

そこに正解とか間違いとかないですよね

感じたことは事実
全てtruth
そしてtruth is strong
そして強さは美しさ
面白さでもある

僕、人の話、つまらないなと思うことが多く
僕の話の方が面白いと思うので
僕はしゃべるのです
(そもそも、しゃべらない人も多いし)

何でつまらないのかと言うと
先ほどの話の逆再生

つまらない話は
醜くて弱い
弱さとは嘘であり
嘘は作り物
事実ではない
リアルじゃないんですよね

real sound

本音を語れば
「それは間違っている」と言われるのが怖いのだろうと思います

嘘をついていれば
それを否定されたところで痛みはない
そこに自分がないから

でも、感動もないと思います
感動無き時の経過は
何にも増して損害だと思います

僕は面白い話なら聞く

面白い話をしようとするんじゃなくて
あなたしか話せない話
それが面白いんです
僕の脳にないから

共感することを遺伝子レベルで刷り込まれていると
求められていないことをしたり
聞かれてないことを話したりすることは
恐怖だと思います

でも
共感を欲しがってる話ってつまらないんだよね
もう、それ僕の脳内にあるんだよね
ってなる

誰も聞いてない
あなたの話

それが「面白い話」です

とはいえ

イキナリは無理

確かに闇は深そうです

だからこその美術館デートなんですよ

作品に対しての感想を言う

それだけで自分ならではの発言ができちゃう

瀕死になった心を再生させるリハビリ的要素が
美術館デートにはあるんです

さらに言うと
「作品観賞後のティートークタイム(TTT)」
にはあるんです

一言からOK

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