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服に求めるか、服を背負うか

僕は背負ってます

僕が服だったら
その方が嬉しいので

服に刺激を求めていたあの頃

20歳の僕は疲れていました

原宿、渋谷、恵比寿、代官山、中目黒
放課後、課題から逃げる様に駆け込んだ服屋の数々
僕は「ビビッと」を求めて歩きまくって見まくって
「ない、ない、ない、」と、舌の肥えたグルメにでもなったつもりか、渇いた心を満たそうと、とにかく日々歩き、疲れていました

で、セールで「ええやん!安いし!」ってなって買った服、すぐ飽きる、みたいな

自分の意志で選択してるつもりが
大いなる力によって煽動、消費させられている感…

からの、パラダイムシフト

出会いまして
その後、働くことにもなるお店
「←blues dress→(ブルードレス)」に

とはいえはじめは試着だけして、お話聞いて、長居して、買わずに帰る日々

僕の中の「気まずさゲージ」をためていきました

で、成人式前

「一生のお願い」をフル活用して親にイケてるスーツとシャツとネクタイのお金をもらいました
たぶん総額85000円くらい

それで僕が背負ったものは
その時の店長さんが僕に語ってくれたイメージです

これ着てさ、イケてるバーでさ、向こうにはステキな女性がいてさ、で、ウイスキーロックとか頼んだりしてさ「あちらの方にも同じものを」とか言ったりしてさ、グラスの中の氷が「カラン」って言ってさ、軽く会釈してウイスキーを飲もうとするときにチラッと見えた袖がコレよ、イイっしょ

ハタチの僕の脳内にはありありと、微に入り細に渡り、ステキな女性のいるバーカウンターが浮かびました

そういう
「大人なロマン」を僕は親のお金で買いました

もちろん生地だとか縫製だとかデザイン、シルエットに関するこだわりは最低ラインとして標準装備してます

でも、それって名だたるブランドだったらそれこそ最低ライン標準装備してるものなので、差別化されないし、てことは「僕が着る理由」になり得ない

その「僕が着る理由」を
きちんと
かつ
カッコよく
おもしろく
伝えてくれた当時の店長さんには今でも感謝しています

僕は誰でもない僕のロマンを
服と共に背負うことを
成人式で始めました

それはグレンラガンでいう「アニキ」が
「お前の信じるお前を信じろ」
と、主人公・シモンに言ってくれたシーンの様でした

有名ブランドのロゴとか分かりやすいですが
そういう「借り物の影響力」を纏ったところで
本人がカッコよくなるわけではないと思います

「その服イイよね」って言われて終わりです
(その服を着ている自分はイイとは言われない)

じゃあ、どうしたらカッコよくなれるかというと

世間や他人の評価は置いといて
自分の「好き」とか「ロマン」を背負ったり、纏ったりすることかなと思います

「誰か」を納得させる必要はないけど
自分が納得できる
「その服を自分が着る理由」
が、あればイイと思います

極端な話、好きな人がいて、その人が
「この服着た人好き」
って言って、それに納得できたのなら
それも自分が着る理由たりえるのでイイと思います

「理由なき装備に魂は宿らない」

自分がその服を好きじゃないのに
服が自分を輝かせてくれるはずはないと思います

服は1番近くにいる相棒の様なものだとも思ってます

その“近さ”を過信したところで服は何かを与えてくれるわけではない

「これ好きだなぁ」と心から思うことによって、自分がその服に寄って行き、その結果「似合う」という評価に繋がるのだと思います

物理的に考えて、服は変わらないけど人間は変わります

だから僕は、似合わない服なんてないと思ってます

あるのは、似合いたいか、似合いたくないか

「服は逃げない、逃げるのはいつも自分」
です

やらない言い訳ばかりで
逃げ癖がついてる人からすると厳しく聞こえるかも知れませんが
割と現実かと思います

そして
ダサい人とイケてる人を分かつborderだとも思います

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