腐女子カースト

「腐女子カースト」という作品をご存知だろうか。

現在ウェブサイトで1話が無料公開されているマンガだ。

興味を持たれた方は自己責任で検索しご覧になってほしい。

正直、私はこの作品が好ましいとは思えない。

それなのに、なぜわざわざ好きではない作品の話をするのかというと、単純に「この作品に怒りを感じているので一言申さなきゃ気が済まない」からだ。

「腐女子カースト」の内容は、同人誌即売会に「ノーメイク・微妙なファッション」で行く女たちを「腐女子カーストの底辺」と呼び、その行動や容姿をおもしろおかしく描いたものである。

今、この文章をご覧くださっている方は、同人誌即売会というイベントに行かれたことはあるだろうか。

自費出版した本や小物などを、イベントの主催にサークル参加費という場所代を支払って頒布するというものだ。

さて、1冊の本をイベントで出すのにどれだけの時間、お金、労力がかかるか想像してほしい。

ほとんどの出展者は会社員や主婦業といった社会生活と並行しながら、空いた(もしくは睡眠時間や遊びに行く時間を削り捻出した)時間を作品の創作にあてている。

本を刷るのだって、数千~数万円のお金がかかる。イベントの参加費、交通費、遠方なら宿泊費も。下手をすれば1回のイベント参加で月収の半分が軽く飛ぶ。

当然利益なんて出るわけもない。

私も同人活動をしている腐女子であるが、毎回印刷代と創作時間の確保には頭を抱えている。正直、苦しい時もある。印刷所さんに完成原稿を送るたび「もうこんな趣味これで終いにしよう……」と毎回思う。

それでもまた次のイベントを申し込んでしまう。

だって、イベントで本を出すのが「幸せ」だからだ。

イベントの開催時間は短い。

だいたいのイベントが10時頃開場して15時頃には終了となる。

そのたった5時間を味わうために、生活を投げ打つ。

私にとって、その5時間はそれだけの価値があるものなのだ。

そのほんの数時間、私は自由でありたいと思う。

全ての繋がりや期待から、自分を解放してあげたいと思う。

年齢も職業も違う「好きなものが一緒」というたった一つの理由だけで繋がった同好の志の本を探したり、語り合いたいと思う。

そんな場所で、メイクやファッションの評定は必要だろうか。

女は普段の生活で十分、点数を付けられ、より良い女であることを社会から求められている。

学生としての規律を、社会人としての振る舞いを、母としての行動を、場に応じた話し方を、笑い方を、歩き方を、服装を、化粧を。

イベントでの数時間だけは、私はカフェ経営者としての私でも、作家としての私でも、主婦としての私でも、嫁としての私でも、娘としての私でも、近所の〇〇さんとしての私でもない「イベントに来たただの私」になれる。

何者にも評されず、好きな服を着て好きな場所を楽しみたいのだ。

たった数時間、全ての繋がりや期待から、社会に負わされた役割から解きたれたいのだ。

寛容な創作の場に「腐女子カースト」を持ち込んで、一体だれが幸せになれるというのか。

私はこの話を「炎上商法」などと簡単に片づけたくない。

「腐女子カースト」の足元には、「世間から評定されること」に疲弊した女の怒りと悲しみが埋まっている。

燃え尽き、声を上げる気力もなくなる前に、どうしてもこの怒りと悲しみを伝えたい。

どうかもうこれ以上、女を、私を裁かないで。


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