挨拶って必要なのか?

元気な声で挨拶をしようとか

笑顔で挨拶しようとか

言われた経験ありますよね?

日本に住んでれば

義務教育の段階で言われると思いますが

挨拶って難しいんですよね。

する側は

「無視されたらどうしよう」

とか

される側は

「なんて返せばいいんだろう」

とか

相手の事を思ってるのか思ってないのかよく分からない状況になる

気にする事自体がよく分からないのですが

とりあえず「礼儀だから」というのは

自分自身好きじゃないので

考えてみましょう。

しなくてもいい世の中ならもっと楽に生きれるのになんでそんな事しなきゃいけないのか?

とか考えてる人もいると思うし

なんで挨拶くらい出来ないんだ。それぐらいやって当たり前だろ

と考えてる人もいると思うので

双方が気持ち良くなればいいなー

と思いながら

考えようと思います。

ちなみに自分自身も挨拶の意味がよく分からない時期もあったし、先にした方が負け。みたいなよく分からない事を考えた事もありますw
今となっては謎ですが、、、

先に

する側から考えていきましょう。

心理学に返報の法則というのがあるのは

知っていますか?

その考えから紐解いてくと分かりやすいのですが

挨拶をする側として

する事にによって言葉を渡したと考えるんです。

これからの時代は

「個」の時代と言われています。

その時に

その「個」というもの

もしくは個性というものを

出していきたいのであれば

何か突出したものを世に出していかなければ

ならないという事です。

その時に

個性を認めてもらう時に

考え方を分かってもらうの難しい。

まず個人として大丈夫なのか?

として見る訳です。

そうすると

必然的に相手の尺度を測る時に否が応でも自分の常識の中に相手を一回はめてから考えてしまうバイアスが人にはあります。それは今の時代古い時もあるのは事実です。ただそれは「思考」の問題であり、礼儀の問題ではない。というのを前提に考えていかないと厳しい。理由は自分の「個」を出すという事、もしくは相手と違う事をするという時点で「相手は知らないコト」をしてくる人という認識になる。

もちろんそれが個性ではあるのですが

基本的にどの尺度で考えるか?

が重要になる。

逆にこう考えましょう。

コミュニティがあって特殊な挨拶の仕方がそこでは定説になっていて、それが出来ないとそのコミュニティに入りづらい。
その時あなたはどうしますか?

という議題です。

多分、そんな面倒な事をするならそのコミュニティなんて入らなくて良いと考えるか?

それとも

とりあえず気になるがどうやって入ったらいいか分からない。だからまずは入り方を考える。

まぁ極論ですが生存戦略として考えてみましょう。

知らない土地に来てそういった状況になったら間違いなく後者ですよね。

そうしたらまずどうします?

挨拶の仕方から考える訳です。

まずまず面倒くさいですねw

ただそれをする事により

そこに入っても良いという約束がしやすいという事が出来る可能性が上がる。

それによって

仲間が出来る。

なぜか?

理由は挨拶されて嫌な気分になる人がいたとしたらそれはそもそも仲間になる必要性がない人と分かるから。挨拶を返してくれないのであればそれくらいの器だという事が初めから分かる。ただそれだけです。

そしたらそこに無理矢理いて嫌な奴を我慢している必要ないですからね。

する側のメリットは

挨拶を返してくれるのであれば一定のコミュケーションが測れるというのが分かる。というメリットがある。

そしてそれが家族や職場なら

やらない理由を探す方が難しい。

具体的に挨拶さえすれば自分の存在を確認出来る。尚且つコミュニケーション及び

相手に何かを渡せたという自信に変えれるという事もある。

物質的な物を渡す事が重要だと思いがちですが言葉を渡すという捉え方も出来る。

相手に渡す物がないなんて人はいなくて笑顔と言葉を渡すのに1番良いのは「挨拶」という事になりませんか?

やらない理由はきっと

面倒くさいとか

気分が乗らないとか

そんな流れなだけですよね。

ただの怠慢でしょうかね。。。

そんな勿体無い事するひつようありますか?

一言伝えるだけですよ?

そして

される側の気をつけなきゃいけない部分は

挨拶をされたら返す

ただそれだけです。

ただ

より密にコミュニケーション取りたければ

声のトーンを合わせ

笑顔で返す。

それにより

相手のテンションが分かりやすい。

今日の調子はどうなのか?

とか

相手の目に力があるか?

とか分かる訳です。

そうすると

体調を見るという視点やテンションを見る視点で

挨拶をしてるとなれば

返されなくてもイライラしない訳です。

(まぁ生物学上弱ってるな。と感じたら心配になるし、また初対面とかでこいつダメだなをとか分かる訳です。)

ここが重要で

個性を活かしていきたいのに弱いと思われたらもはや支離滅裂です。だったら会話の内容より生命力の強さを出した方がいい。

というのが僕の見解です。

世の中には笑顔を作るのが苦手だったり

テンションが低い人もいると思います。

そうなってくると

挨拶というのも一つのハードルになってしまうのは分かります。

そういった人が物質的に何かを誰かに渡す事なんていうのはもっと難しい。

そしたら

より自分が出来そうな事にフォーカス当ててもいいと思うんです。

そこから

何かが変わると思うんですよね。

暗い奴は悪だ

明るいところに人は集まる

なんて

きっとみんな分かってる。

でも出来ないから悩んでる訳です。

もしかすると

挨拶という事を一つとっても

出来ない環境を作ってるのかもしれない
(余計な一言を返してしまうクセがある)

とか

嫌いだからしたくない
(嫌いなのは感情であって過去になにかされてる。それを今日まで引っ張る必要はあるのか?だったら今日からリセットすればいい)

とか色んな角度から見れる訳です。

だから

挨拶はしないといけないんではなくしたらどんな成長があり、それによって自分が相手に何か渡せてるかもしれない。という事を気づくべきなんですよね。

挨拶は年が若い人がしなければいけないなんて事もないし笑顔でしなきゃいけないなんて「ルール」はない。やったらみんなが、自分が気分が良くなる。だったら「挨拶」というものはコミュニティの中で勝手に「マナー」になるはず。

今の時代、、ルールは時代遅れという人がいます。それはそれで納得します。

それって誰が作った「ルール」なんでしょう?

きっと誰かが作った

「マナー」から勝手に「ルール」になっただけなんじゃないかなーと思う。

だから

それって強要するもんでもないと思います。

良いと思えば続くし

その良さを伝えれば

きっとやらなかった人もやり始めるはず

だったら

もし

周りに挨拶が出来ない人がいたとしたら
挨拶をする良さを伝え、返ってくると思わずにやり続ける事が重要になるでしょう。これからの時代「テクノロジー」の発達でもしかすると人間関係の構築の仕方が変わるかもしれない。そんな時に残る物は何なのか?を考える事も大事な「今の時代」を生きる自分達の役割だと思います。

挨拶はやっといて得は無いかもしれないけど損するかもしれない。それは自己ブランディングしたい時の足かせになるかもしれない。だったら今から練習しといた方がいい。環境が変わってもそれは変わらない。

コミュニケーションを交わす

という本題で言えば

挨拶というものが

ファーストステップになるでしょう。

そこから始めてみましょう。

#snips #小熊滋 #人材育成




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