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良かれと思ってる事が。。。

人に教える時に

手取り足取り教えたくなりませんか?

教育とは

どういった事なのだろう?

教える

育てる

教えるとは導く

育てるとはそだつ

そう考えると自分が

行なっている教育とは

どうなのかな?

と考えてしまう。

ひと昔前であれば

「分かりやすさ」を

重視してた。

もちろん

分かりやすさは伝える為に

重要である。

全く通用しないのは

問題外だが

言葉1つとってみても

仮に相手に伝える為だけに

言葉を使っていたら

文学などは成立しなかっただろう。

もっと言えば

最近の流行語などは

単一な言葉で

相手によって伝わらないという事は

少ない気がする。

そのかわり

捉え方が人それぞれになり

1つの言語で伝わるようになる。

そうすれば

沢山の人が

自分たちの捉え方で

その言葉を使えるから

流行るんだろうなーと思ってます。

そうするといい事としては

コミュケーションのコストが減る

逆は

考えて話を聞かなくなる

イコール

それ以上のものはなくなる

要は思考が止まるという事ですね。

もし仮に

子供が使ってる言葉だけで

世の中が成り立っていたら?

と考えると

どっちにも転がりますね。

例えば

世の中から隠し事が消えたり

コミュケーションが取りやすくなる

この辺をクローズアップすると

良いことばっかりかw

ただ

もう言語を統一したり

世の中から子供が分からない言葉を

排除する事は不可能に近い。

であれば

思考停止型を減らした方がいいんじゃないかなー

と思うわけです。

具体的には

例えば

道を歩いてるとして

全ての道を舗装し

全ての障害物を取り除き

歩くとしたら

きっと何も考えずに歩けるでしょう。

ただ

それは

誰かがやってくれていなければ成立しない。

それをやる人がいなくなったら

その人は

自分の考えだけで

歩けるだろうか?

これは

歩行というところをクローズアップしたが

人生として捉えてみよう。

ゴール設定もなく

ただ

誰かが作った安全な道を

歩んでいくと考えたら

その人はどこに向かうのだろう?

いつも誰かがいなければ何も出来なくなる。

考えれなければそうなります。

その辺を踏まえると

教育とは

道を均し障害物を取り除きゴール設定もする事なのか?

と疑問になる訳です。

それを

考えれるような自立心を

はぐくませるのが

教育ではないのか?

と思う訳です。

そうすると

考えさせる事が得意な人

道を慣らすのが得意な人

ゴール設定をしてあげるのが得意な人

色んなタイプな教育者がいても良いんではないか?

と思います。

個性を大事にするはずが

教育者の教える方法に

個性がなければ

個性は生まれないような気がします。

僕の好きな言葉があります。

攻殻機動隊の言葉です。

上記にありますが

荒巻さんの言葉です。

スタンドプレーからのチームワーク!

要は

スタンドプレー

個人の力を上げて

協力するというより

全員で同じ事をするのではなく

全員が同じ方向を見て

自分達が出来る事をするという意味です。

こうなると何が必要か?

個人で指示待ちではなく

自分達から動くというのが重要です。

その人材を育てる為には

冒頭の事を考えることが大事です。

まずは

自分からですが

個性のある人材育成を目指しましょう。

特権を乱用しないように。。。

#snips #小熊滋




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