やれば出来るという魔法の言葉

「やれば出来る」という事言われた事ないですか?

ちなみに

僕はずっと言われ続けた学生生活でしたw

以前は

どうせ先生は書くことがないから

そう書いたんだと思ってたんですが

大人になってから

その言葉がなんだか自分が思ってる感じじゃないんですよね。

自分の先生がどうこうとかではないのですが

自分が教育に携わるように

なってから

その言葉の矛盾するが気になってきました。

あの魔法の言葉の「やれば出来る」って
本当なのか?って。

むしろ

世の中全員がやれば出来るだろう。
一般的に言えばという風に肯定的に取っていたんですが言葉を理解するにあたって違う気がしてきて、実は否定的な部分もあるんじゃないか?と。

あれって。

やれば出来るけど「やる気」がない人はどうしようもない、、、

という風にも取れないかな?と、、、

まずは

ヤル気とはどういったものなのか?ですが

「ヤル気スイッチ」なんてものは世の中になくて一瞬のヤル気はただのテンションである。と思ってます。要は他人からもらえる「ヤル気」なんてものは一瞬で終わり、現実に戻ればきっと「あぁー。。。」とスイッチが切れた経験ないですか??

僕は昔しょっちゅうありましたが、、、

見てる時だけちゃんとしとこう。みたいなやつですね。

それで

ヤル気とは?何なのかってなりますが

多分、、、

ヤル気は結果でありその手前が重要かと、、、

多分ヤル気って「動機」なのでは?

と思うんですよ。

昨今好きな事を仕事にすれば良いというのは

多分

自分がやりたくない事をしなきゃいけないという「空気感」が蔓延してるからだったら好きな事をやってるんであれば「動機」はあるよね?って事なんじゃないかと思ってるんです。

だから

使命感とかって

その使命を全うしたいという「動機」なんですよね。

誰かに言われたわけではなく

自分の「情動的な事」で動きたいという感じで

好きな事って誰かのきっかけではあるが

好きになるのは本人次第ですし

それで次に来るのが

やってみたいという「欲求」が出てくる。

やってみたいとか知りたいという「欲求」や

誰かの役に立ちたいという「欲求」

色んな「欲求」により

やり続けたり出来る。

それから

「だったらこの事象はやれる」

っていう「認知」になるのかな?

って思ってます。

ちなみにこの順番

情動→欲求→認知

が新しい事をしてみたい時だと思っていて

逆に

動機付けさせる時って

認知→欲求→情動

とか

認知→情動→欲求

とか順番を入れ替えていけば良いと思ってます。

論理的に積み上げていくと

ヤル気=情動だけを取り上げてないか?と思うわけです。

だから

結果だけ見たら「ヤル気」がないように見える

というか

「ヤル気」=動機がない

って事になる。

であれば

動機付けしてあげれば良いって事で

逆に言えば

動機がなければ

そもそも始めるきっかけはない

だから

「世の中にヤル気スイッチ」なんてものはないし「やれば出来る」なんて事はない

そもそも

やろうと思っても

応援しない感じのドリームキラー的な人もいますから、、、

そうではなく

動機付け出来たらそのまま背中を押してあげれば良いわけです。

自分は学生時代は「学び」なんてものは社会に出てから役に立つと思ってなかったから「動機付け」がないから勉強なんてしなくて良い!
と思っていたから「やれば出来る」って言われてた。と考えたら腑に落ちる訳です。

重要なのは

ヤル気を削がないという事
やれば出来ると期待させずに動機付けした時の気持ちを忘れさせない

この2つが重要なのではないか?と思います。

何がきっかけになるかなんて分からない訳です。それが自分の考えてる範疇を超えたとしてもそれを共感する事が重要でその上で「なぜそうしたいのか?」を掘り下げてあげる事が大事なのではないか?

と思います。

なので

自分の学生時代にお世話になった方々には

感謝です。

#snips #小熊滋




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