影口はなぜ無くならないのか?

なんかこの人嫌いとか

なんとなく好きじゃないとか

思ったりしたりしますか?

こんなに沢山の人に関わって生きていれば

それはあると思うんですけど、、、、

「なんとなく」「なんか」

の気持ちって何がどうなってそうなるんでしょう?

なんとなくとはなんとなくであって

明確な理由がないという事であって

合わないだけという事もあり得るのでは?

と思います。

合わないだけなのに嫌いとは

勿体ないなーといつも感じます。

むしろ

性格が合う人を探す事の方が逆に難しいと思います。

1番小さなコミュニティである

家族ですら性格違いませんか?

ここでなんでそういった考えになるか?を考えてみましょう。

元々遺伝子レベルでは同じかもしれないが性格は環境によって変わってくる。もっと言えば周りによって性格は変わるのでは?

と思うわけです。

ここで重要なのは

その環境というものが「影響する側」と「影響される側」があるという事。「影響する側」の課題と「影響される側」課題がある。という事なんです。

良くあるのは

影響される側の問題が出る事が多いと思います。

今回の入り口もそのようなニュアンスが強いですが

そこから考えてみましょう。

受け取る側の問題としては

自分がなんとなく合わない人と一緒にいるのは苦痛だから好きな人とだけいればいい。嫌われたっていいよ。自分は自分だから。という感じは「この人は自分の価値観」と合わなそうだ。と思えたらいいと思いますがそれまでは勿体ないという事です。

理由としては

自分が成長する時に自分の都合のいいものだけ見ていると「深掘り」は出来るが「広げる」事が難しい。自分の殻にこもりやすくなる。発展性の機会が減る。

という点が挙げられるととも思います。

いや、、、

だからといって「嫌いな人」と無理に一緒にいる必要があるという事ではなく「影口」など言うのであれば相手の事を知るようにしてみよう

という事なんです。

直接言えないという事は我慢できるって事でもあるって事ですよね。

だったら

ダイレクトに言える理由がないのにも関わらず影で言うのはやめようということです。

なんとなくというのはこういった所から来るのでしょう。

それによって何をしてても気に入らない
とかいう感情が出るんではないでしょうか?

嫌いになるにも礼儀があると思いましてw

だからといって無理に好きになれってのも違うと思うんです。

人それぞれだから好きになる努力をしよう。なんていうのは無理なわけで。ただ、そういった気持ちになってる本質を知ることは義務なんじゃないかなーと思うんです。

ただそれだけだと

寂しいので

受け取る側としての心構え的なことでいえば

実はなんとなく気になるのに対して嫌悪感がある場合は(自分に似てる)嫌な所か(全く自分と価値観が違いすぎる)の2つだと思います。

自分に似てるからなんとなく嫌な気分になる。自分の持ってる価値観がありすぎて分からない(だから怖い)なんじゃないかなーと。

という事は

自分に似てるという部分ではそういった部分を持ってるんだと自分が分かる事。が大事。その感情によって「なんとなく」が生まれるから

自分の持ってる価値観と違う場合は(だから嫌)ではなく自分に持ってない価値観だから吸収する為に話聞いてみよう

で、良くないですか?

それを感情論だけで「なんとなく」合わないは

マジで勿体ない。

誰しも自分に持ってないものを持ってるはずで自分の価値感とぴったり合う人なんていないはずなんですよね。

自分の親の価値観で生きてますか?

そんな事なんて無いと思います。

であればすでにそういった感情は無くした方がいいと思う。

それよりもそういった人と関わる事により成長促した方がいいと思う。

折角ならいちいち毛嫌いしないで

そうしておけばいいですよ。

逆に

「影響」を与える側は自分の価値観だけで押さえつけるのはやめましょう。という事です。

自分が今まで経験した事を手放すのは怖い

だから

どうしても自分の価値観というのが大事と言われてますが

これは

価値観を持ってる事が良い事とか

ブレないことが重要と言われてますが

そうではなくて

自分の価値観やブレない心を持っていれば相手の話を聞く時に余裕がある。もしくは自分の価値観+αで考えることが出来る。

という事なんです。

とかく自分の価値観を大事にと言われますが

それによって相手を押さえつけてしまう可能性があるのであれば

それは双方は良い気持ちしないです。

影響する側なんだったら

「学び続ける」のも1つだし

「相手の話を聞き」それに対する言葉を

かける事も出来る。

そうすれば

お互いの関係性はとてもよくなると思います。

環境によって人の性格が形成されるのであれば
今目の前にいる人は自分が作った環境によってそうなったのでは無いのか?

と考えることもできます。

陰口を叩く人が多いなら影口を叩くのは「普通」という環境を作ったのでは無いのか?

好きじゃ無い人とは一緒にいなくてもいいという環境を「普通」にしたのでは無いか?

探せばキリが無さそうです。

まとめ

「なんとなく」は「空気」であってそれは理由にならない。環境は「影響する側」が作る機会が多い。ただ「影響される側」は成長という概念を考えるのであれば「なぜ」そうなったのか?を考える事も重要な課題。折角同じ環境にいるなら良い影響を与え、良い環境をみんなで作るという事がだいじなのでは?と思います。

#snips #小熊滋 #環境

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小熊滋

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