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【水島予言#09】1969年から続く、水島新司の“スイッチ投手”論

 かつて、「左右両手投げ」としてプロ野球でプレーした投手がいた。南海と阪神に在籍した近田豊年だ。野球界で「二刀流」といえば投手と打者の両方でプレーすることを意味するが、いやいや、こっちこそ本当の二刀流である。

 近田はもともとが左利き。ただ、少年時代は右利き用グラブしかなかったために右でも投げているうち、気づけば左右両方で投げられるように。高知の名門・明徳高(現在の明徳義塾高)では“左腕投手”として83年センバツ大会に出場。その後、社会人の本田技研鈴鹿を経て、87年オフに南海の入団テストを受験。左では上から豪快に振り下ろす最速147キロのストレートを披露し、右ではアンダースロー投手としてアピールに成功。「球界の初のスイッチ投手」としてドラフト外での入団が決まったのだ。
 結果的に、一軍登板は1試合のみで、このときは左投げだけ。公式戦での「スイッチ投手登板」とはならなかったが、近田のためにミズノが左右どちらの手でもはめられる特注の「6本指グラブ」を制作。当時の週刊読売では「夢の『左右投げ』南海近田投手にみる『利き腕』考現学」なる特集が組まれるなど、球界に大きな話題を振りまいたのだった。

 誰もが驚いたスイッチ投手の誕生。だが、水島新司だけは驚かず、むしろ「ようやく現れたか」と思ったのではないだろうか。というのも、水島は自身にとって初の本格野球マンガである1969年発表『エースの条件』から始まり、以降多くの作品でこの「スイッチ投手」を描いてきたからだ。

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80年代のプロ野球と高校野球で起きた出来事を、水島野球マンガは事前にどう予言していたのか? 有料設定にしていますが無料で読めるものも多いで…

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