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【水島予言#11】1992年、伝説の「松井秀喜5打席連続敬遠」を15年先駆けていた、「山田太郎5打席連続敬遠」

 甲子園球場からラッキーゾーンが撤去された1992年。高校球界を席巻した怪物こそ、「ゴジラ」と呼ばれた星稜(石川)の4番、松井秀喜だ。春のセンバツでは1試合7打点に2打席連続&2試合連続弾など、当時の大会記録を次々達成。ラッキーゾーンの撤去で「本塁打減」が予想されていたからこそ、その超高校級のパワーと打撃センスが際立つことになった。

 そして、センバツでの大暴れがあったからこそ、夏の甲子園で起きた事件が2回戦・明徳義塾戦での「5打席連続敬遠」だ。
 特に問題となったのは9回の5打席目。2対3と1点を追いかける星稜の攻撃。2死三塁、単打でも同点という場面で、打席には松井。松井が塁に出れば逆転のランナーになる状況ではあったが、それでも明徳義塾は敬遠を選択。松井が一塁に歩いたあと、明徳義塾への不満と抗議でメガホンやゴミなどが投げ込まれ、試合が一時中断する騒ぎとなった。
 試合再開後、次の5番打者が倒れ、ゲームセット。だが、喧騒は球場の枠を越え、日本中で議論を起こす社会問題へと発展。松井との勝負を避けて試合に勝った明徳義塾の戦い方は賛否を呼んだ。

 まさに前代未聞の大事件……と思いきや、実はそうではなかった。甲子園の歴史において、「5打席連続敬遠」は松井が実は2度目。遡ること15年前、明訓高校の怪物、山田太郎も5打席連続敬遠を経験していたのだ。
メジャーでも通用した日本歴代最強打者と山田太郎だけがこの事件を経験した、というのがなんとも説得力を生む予言といえる。

 山田の場合は、2年春のセンバツ大会準々決勝、栃木の江川学院との一戦。相手はこの大会でノーヒット・ノーランを達成し、「大会ナンバーワン投手」とも評されていた中二美夫。それだけに「ノーヒット・ノーラン投手の中か、打率7割の山田か」と戦前から注目のマトだった。ところが、蓋を開けてみれば山田はバットを振ることなく、敬遠、敬遠、敬遠……。迎えた第4打席、江川学院からすれば1点リードで満塁のピンチ、という場面でも、迷うことなく押し出しの敬遠を選択した。
 実はこのとき、中は肩を痛めており、この状態では山田に打たれると考え、苦渋の決断として選んだ敬遠、というのが後日判明するのだが、試合中はそれを匂わせるシーンもなく、不可解さが募るだけ、という不思議な試合になっている。

 改めて山田の敬遠シーン、そして松井秀喜の敬遠シーンを見直してみると、「5打席連続敬遠」というトピックスが同じであるだけでなく、球場の反応、そして実況アナウンサーのフレーズまでも似通っている(つまり、予言していた)ことに気づく。

 たとえば、山田押し出し敬遠の場面、また5打席目の敬遠での実況はこうだ。

実況「まったく こんなことが 長い高校野球史にあったでしょうか……いえ おそらくないでしょう」「中くんへ4万観客の罵声がとびます」
実況「さぁ甲子園球場は今や怒りの極致にたっしました それもそのはず この大観衆は山田対中の対決を楽しみに集まったファンばかりなのですから」「それが五打席連続敬遠とは!! 一体だれがこの対決を予想したでしょうか」

一方、松井秀喜の5度目の敬遠後、リアル世界の放送では……

実況「勝負はしません!」
解説「こんなのは、はじめてですね」
実況「甲子園球場でメガホンが投げられます。これは珍しい」
解説「勝負をしない怒りはあるでしょうけど……せめて一回は勝負して欲しかったですね」

 また、松井秀喜の場面では、明徳義塾の投手に対して「帰れ」コールがわき起こったことが問題となったのだが、山田のシーンでも「栃木に帰れ」と観客席から声が飛んでいるのがわかる。極限状態になったとき、アナウンサーは、そして観客はどんな反応をするのか、ということまで予言して見せたのだ。

 この5打席敬遠について、のちに松井自身が解説しているので引用したい。

「甲子園大会ではやはり“5打席連続敬遠”(1992年夏、対明徳義塾戦)が一番の思い出かな。僕は、一度は勝負があると思ったんですけどねぇ。「ドカベン」の中では、山田太郎が5打席連続敬遠されながら、明訓は勝ったんですよね。でも、僕たちは負けましたから…。」(文庫版6巻 ※松井秀喜の言葉)

 そして水島新司も、のちに松井との対談企画でこの「5打席連続敬遠」について、なぜ描いたのか? 松井の場面はどう見たのかを振り返っている。

「山田太郎の5打席連続敬遠を描いた。それも、ランナーがいなくても、どんな条件でも敬遠。絶対にありえないと思ってることだから描くの。夢の世界だから。それを現実に相手にやらせた選手が現れるなんて、想像できなかった。(中略)弟子たちに『ドカベン』の5打席連続敬遠のところを持ってこさせて、テレビにかじりついてた。相手のピッチャー、相手の監督を本当に応援したよ。頼むから続けてくれ、ここまで来たらやってくれ、とね」(『週刊ベースボール』1994年1号より)

 別なラジオ番組でも、「山田太郎を討ち取るにはどうすればいいのか? 監督の立場になったら、全部敬遠しかない。その同じことを、馬淵監督はやったわけです。あれで馬淵さん好きになりましたね」とコメント。水島は明徳義塾・馬淵監督目線であの試合は見ていた、というのがなんともおかしい。こうして、「漫画じゃあるまし」と言われがちなシーンは現実のものとなったのだ。

 最後に余談。松井は自分自身のプレーを『ドカベン』にたとえて表現したことがある。2002年のヤクルト戦で、松井が放ったライナー性の低い打球は、セカンドのすぐ上を通過。ここからスピンのかかった打球はグングン伸びて、右中間席最前列に突き刺さるホームランとなった。
 このとき、チームメイトの仁志敏久が冗談めかして「セカンドがジャンプしてたよ」と松井に伝えると、松井自身はこう切り返したという。

「そんなわけないじゃん。ドカベンじゃあるまいし」

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90年代のプロ野球と高校野球で起きた出来事を、水島野球マンガは事前にどう予言していたのか? 有料設定にしていますが無料で読めるものも多いで…

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