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【水島予言#10】1981年と89年、ドラフト1位を拒否したスター球児を待ち受けていたもの。

 野球界の人生交差点、ドラフト会議。毎年のようにさまざまなドラマが生まれるドラフト史のなかでも、とくに劇的だったといえば1989年のドラフト会議だ。この年、新日本製鐵堺の野茂英雄に史上最多8球団が競合指名。この年から採用されたテレビモニターに次から次と「野茂英雄」の名前が灯り、会場の喧騒とは裏腹に、名司会者・パンチョ伊東の軽やかな声が響き渡った。
 また、89年ドラフトは「史上空前の当たりドラフト」としても有名だ。野茂の他の1位指名では佐々木主浩(大洋)、佐々岡真司(広島)、小宮山悟(ロッテ)、潮崎哲也(西武)、与田剛(中日)。2位以下でも古田敦也(ヤクルト2位)、岩本勉(日本ハム2位)、石井浩郎(近鉄3位)、前田智徳(広島4位)、新庄剛志(阪神5位)など、のちに好成績を残した選手を多数輩出している。
 そしてもうひとつ、89年ドラフトが生んだドラマに、高校球界ナンバーワン野手、上宮高校の元木大介のダイエー1位指名がある(野茂英雄の外れ1位)。巨人入団希望を明確に宣言していた元木は入団を拒否。「高校生が生意気だ!」とバッシングが起きる騒ぎへと発展した。
 過去にも高校生1位指名の入団拒否はあった。もっとも有名な事例は73年に阪急が1位指名した江川卓(作新学院)だろう。ただ、いずれのケースも、入団拒否をした高校生の進路は、大学進学か社会人入り。プロ入りは2年後、4年後を待たなければならなかった。
 ところが、元木が選んだ進路は「1年間の浪人生活」。法大時代の江川卓が77年ドラフトでクラウンから1位指名された際にこの選択をしているが、高校生では前代未聞の出来事だった。ただ、そうでもしなければ毎日の記者の張り込み、さらには全国から届くバッシングで家族が崩壊寸前だったことを、のちに元木自身がインタビューで明かしている。

 さて、ここからが水島予言である。この「高校生ナンバーワン選手の指名拒否、1年浪人」という出来事を、水島はなんと8年前に描いてみせた。それが1981年に連載が始まった『光の小次郎』だ。
 この物語の序盤は、元木大介を襲ったドラフトを巡る喧騒が“まさにそのまま”と言いたくなる精度で予言的に描かれている。

【1】高校生ナンバーワン選手で、甲子園で準優勝(新田:夏の甲子園準V、元木:センバツ甲子園準V)
【2】意中ではない球団からの1位指名を拒否。周囲の人間がノイローゼになるほどのバッシング&取材攻勢
【3】1年間の浪人を選択。練習相手は地元の草野球チーム

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80年代のプロ野球と高校野球で起きた出来事を、水島野球マンガは事前にどう予言していたのか? 有料設定にしていますが無料で読めるものも多いで…

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