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「楽しむ=悪」だと考えていた私を楽にした言葉

「ありがとう」、「ごめんなさい」を心から素直に言える?

小さな頃から言わなきゃいけないと教えられているから、その意味を考えずに、何ふり構わず口にしていないだろうか?

特に「ごめんなさい」は「言っておけば場がおさまる」と、悪いと思ってもないのに謝ることに心当たりがある人もいるのではないか?私はその一人。

「ありがとう」と「ごめんなさい」は、誰かの機嫌をなだめるために使ってはいけないと、旦那さんに言われて、謝ることと感謝することの意味を考えた。

昨日旦那さんとブランチに行って、とても気に入ったお店だったので「一人でも来るかもしれんけど、ごめんね」と言った。私としては、旦那さんがお仕事を頑張っている間、自分が楽しむのは少し気が引けるのだ。

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「なんで謝るの?オレが仕事してる時に贅沢なご飯食べたらアカンとか思わんくてええよ。一緒に我慢する=夫婦の平等じゃないからな〜。少なくともオレは、そう思うタイプではない。Maiを含めて、自分の家族が好きなことをしたり、何かをやり遂げたりすることは、オレは誇らしいよ。それによって、オレも頑張ろって前向きな気持ちにさせられるねん。

節度を持って、お金の使い方は考えないとアカンけど、自分の小さな楽しみとかは、オレに罪悪感を持たずに楽しんで。わかった?今度謝ったら怒るよ。ほんで、楽しかったことはオレにも共有してね。その話を聞いて『良かったね。いいやん』って言いたいから。」

「誰かの機嫌をなだめるために謝ったり、お礼を言ったりしたらアカン。謝罪と感謝は、使うべきところで気持ちを込めて使って。」

ありがたいお言葉。旦那さんは、もうブッダかもしれない。

たしかに、私は旦那さんが辛い、しんどいならそれに合わせて自分が楽しむことを禁止していた。でも彼はそんなことを望んでいない。

それぞれの幸せが、2人の幸せに繋がるのだ。

だけど自分が楽しむこと、主婦をしながらライターの仕事をすること、旦那さんに通訳してもらうこと、旦那さんに頼り切ること…自分がもっとできれば、彼が楽になるのに、と考えてつい謝ってしまう。

バッタモン家族にいる時は、私が楽しむこと=悪いことだった。だから、今自由にしていいと旦那さんに心から言われても、全てが申し訳なく感じる。

だけど、どこでも何にでも「ごめん」を簡単に口にしたら、自分が悪くないのに「悪者」になったり、非がないのにそれを認めたりすることになる。

「ごめん」をいつも口にすれば謙虚に見えるかもしれないが、時にそれは「私を都合よく扱ってくれていいですよ」って思わせてしまうのではないか。悪いこと全部引き受け係がいたら、みんな押し付けたいよね。

旦那さんは、私が自分を無下に扱うこと、周りが私をぞんざいに接することが少ないように、「誰かの機嫌をなだめるために謝ったり、お礼を言ったりしたらアカン」と、言ってくれたのではないかと思っている。

心からの「ありがとう」と「ごめんなさい」は、人間関係を円滑にする言葉だ。たかが、「ありがとう」と「ごめんなさい」。夫婦関係では、「ありがとう」の言葉は、時にどんな高価な贈り物よりも威力がある。その一言で、頑張りを認めてもらえる気持ちになるのだから、すごい。

だから、使うべきところで使わないといけない。そして楽しむこと=悪いことではないのだ。

それを教えてくれた旦那さんに、ありがとう。

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