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欲を出したくなった

noteのコンテスト「わたしのチャレンジ」について考える。これまでしなかった勉強を頑張っているけれど、もう散々noteに書いてきた。

色々考える中で、頭の片隅で何度もチラついては、コンテストにふさわしくないと振り払っていたことがある。

それは、自分の「欲」を声にすること。

今は色んなコンテストに応募して、賞品がほしい。もし何かのコンテストで賞品をもらったら、欲しいマンガを買いたい。

こう書くのを躊躇ったのは、私にとって「欲」というのははしたなくて、汚らわしいものだったからだ。私の両親は、欲望とお金に執着するあまり、家族を壊したことも思い出してしまう。

でもジャンプのアニメ『Dr.Stoneドクター・ストーン』を観て、「欲」は扱い方なのかもしれないと思った。

このアニメのあらすじを簡単に言うと、人類が突然石化する。何千年後かに、主人公の石神千空いしがみ せんくうは石化が解ける。科学オタクの千空は、科学の知識を使って仲間たちと文明を取り戻し、石化の謎を解いていくという話。

この中に、龍水りゅうすいというキャラがいる。彼も千空と同じ時代を生きていた時に石化し、石化を解かれた。龍水はお金持ちの御曹司で、自称「世界一の欲しがり」。

最初は強欲で偉そうなやつだと思った。でも彼は親のお金と名声に頼ることなく、自分の「欲しい」のために努力できる人だった。それによって人の幸せも考えられる。

”欲しい”、その情熱に人はあらがえない 

七海龍水の名言

「欲しい」というのがいけない、のではない。

私の両親のように、人を傷つけて自分のほしいを叶えるのは、破滅への道なんだろう。龍水のように、自分で努力してほしいを叶えるのは、向上への道なのかもしれない。

認められたい、モテたい、食べたい、寝たい、したい、ほしい。

人は欲があるから頑張れるものでもあると思う。人を傷つけず、自分が楽しめて頑張れるなら、それは健全な「欲」と言えるのではないか。賞品がほしいからコンテストを頑張る、でもいいじゃないか。悪いことをして文章を書いたわけでもないのだから。賞をもらえるかはわからない。それでも宝くじみたいに、「もし当たったら」と想像するのも楽しい。

自分の「欲しい」を言葉にして、私は今ワクワクしている。

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