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好かれたい、読んで。意識の「矢印」が強すぎて空回り

ほんとに私は、空回りばかりだ。

この数日、旦那さんと一緒に友人夫婦の家に泊まった。友人夫婦が不在だったので、彼らの愛犬Mちゃんのお世話をしに行った。

Mちゃんはとてもお利口さん。私にも懐いてくれているが、ずっと旦那さんの後をついていく。彼女の中での主従関係は、私より彼の方が上なんだろう。

旦那さんがソファに座っていると、Mちゃんは彼のももに顔を乗せる。彼が寝てると、彼の足元に寝転ぶ。私もそうされたいから近寄って行くと、顔を背けられた。

それを見た旦那さんは「まいは意識の『矢印』が強い」と言った。

彼は付け加える。「こんなことない?胸元の開いた服を着てると、凝視されてるわけじゃないのに胸元に視線を感じる、みたいな。」

心当たりがある。

Mちゃんに「好かれたい!」という意識の矢印が、彼女にグサグサ刺さっているようだ。旦那さんと話ながらも、私は目の端にMちゃんを捉えている。そして「あわよくば、私に寄ってきてくれないか」と思っている。

「意識の矢印」のイメージ図

下心丸出し。Mちゃんの気持ちになると、そりゃ顔を背けたくなる。警戒心の強い野生のリスやウサギたちも、私からすぐ逃げるのはそういうことだったのか。

カメラ向けた途端に猛ダッシュされた。躍動感たっぷり

反対に、猫は寄って来る。私は猫アレルギーだから、触りたくても触れない。「こっちに来て!」と強く思っていないからこそ、近寄って来るのかも。

旦那さんは動物の気持ちをよく観察しているからなのか、動物に好かれる。彼みたいになれば、犬に信頼されるかもしれないと思った。彼はそれを見透かしたように言う。

「オレみたいにならんくていい。まいとMは、姉妹みたいな関係になれるんじゃないか。もしくはMが、まいを助けたいと思ってるかもしれない。」

これを聞いて、文章のことを思った。文章を書く時の私は、他の誰かになろうとしている。

「読んで!」「私をこう見て!」という意識の矢印が、読み手にグサグサと刺さっているのでは?

だから力を入れて書いたものは、思ったより読んでもらえず、逆のものは自分の予想以上に読んでもらえるのかもしれない。

文章を書いているのは、私の話を誰かに聞いてもらいたいからだ。大事にしたい思い、楽しいこと、モヤモヤしたこと。

それなのに、油断すると「ライクはいつも3桁以上ほしい」や「チヤホヤされたい」に変わってしまう。意識の矢印がまったく違う方に向く。

矢印を戻してはブレる。今も書きながら「読んでくれ〜」オーラを発している。それを引っ込めようとすればするほど難しい。

はぁ。文章と犬との付き合い方は、まだまだよく分からないや。

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