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彼女の苦しみ、私の幸せ

その子と出会ったのは、確か6年ほど前。ある時、暗い闇の中、膝を抱えて静かに涙を流す彼女の存在に気がついた。

 「私なんて、ダメな人間なんだ。」

一人の時は、仄暗い目でそう繰り返す。ただ、ひとたび人前に出れば、その人に合わせた笑顔を器用に作っては、幸せを自負するのが彼女の処世術。ふとした瞬間に視界に入ってしまうその様子に、私は苛立ちを覚えたが、やがて無視し続けることもできなくなった。

「いつまでもそうしてたら、ほんまに前に進めへんくなるよ。一生、自分がアカン人間て思い続けるん?」

こういった私の正直な問いは最初、彼女には到底届かなかった。逆にいじけてしまい、自分を責め、私から逃げた。こういうことは、何事も一朝一夕ではいかないものだ。辛抱強く伝え続けるしか無い。

何とか向き合おうと四苦八苦する日々は続いた。努力のかいあってか、しばらくすると、まるでひな鳥が少しずつ殻を破って出てくるように、彼女の心の奥底に眠る気持ちが顔をのぞかせるようになった。


 認めてほしい。
 信じてほしい。
 優しくしてほしい。
 愛してほしい。


彼女自身、何を考えどう感じているのか、自覚してからの変化は劇的だった。作り笑いをやめ、自分という存在に胸を張って歩けるようになった。心を許せる人たちにも巡り合った。辛かった「これまで」を、希望に満ちた「これから」に繋げられるようになったのだ。

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さて、もうお気づきかも知れないが、「彼女」というのは実は、私自身のことだ。

6年前のある時、私は、やっと、やっと、「彼女」と出会うことができた。

暴力と怒声が日常と化した家族と、それに合わせて荒んでいく自分自身。自分がダメ人間だ、と思えば、怒鳴られることに理由が生まれる。本意では無くともとりあえず笑っておけば、その場は保たせることができる。反吐が出そうな日々に、私が唯一できた抵抗は、自己否定という形で自分を保つことだけだった。

6年前、色んな機会や、人や、タイミングに恵まれて、そんな環境を脱することができた。同じくして、私を私のまま愛してくれる夫とも出会った。そこで、自分、つまり自分の中の「彼女」が、どんなに傷ついているのかを目の当たりにしたのだ。「彼女」を認め、向き合ったのは、本当に生まれて初めてだった。

利き手を明日から変えなさい、と言われたら、多くの人が困るだろう。同じように、それまでと全く違うものさしでの生き方は、途方もなく難しかった。”生きる姿勢”と言ってもいいかも知れない。そしてそれは、本気で「彼女」と向き合い、時間をかけることでのみ身についていく。

自分の好きなことを自覚する。
苦手なことも自覚する。
自分の限界を知る。
そしてそれを破る。
他人の顔色ではなく、自分の気持ちに集中する。
自分の為を思う言葉は、厳しいことでもちゃんと聞く。
自分の気持ちは、ちゃんと言葉にする。
自分の「幸せ」とは何か、ちゃんと考える。
続ける。
諦めない。


一度闇の中に埋もれてしまった心に、再び明かりを灯すには、たくさんのステップを踏まなければならない。でも、そうしてやっと目に映る世界は、格別美しいものだ。

私はずっと、自分以外の誰かになりたかった。でも結局、「自分」というのはどこまでいっても自分でしかいられない。もちろん、まわりの手助けは無くてはならないもの。でも、それに手を伸ばすかどうかは、自分で決めなければ、何も変えることはできないのだ。

出会った時、「彼女」は、勇気を出して私の手を掴んでくれた。そしてその勇気は、今、私が送る幸せな日々の礎となっている。

「彼女」の目は、日の光の下で今日も輝いている。

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