修正

旅をしないと気が付かないこともある

旅は普段自分が考えないことを考え、行動するキッカケになる。

先日、モントリオールへ行った。この旅行は私にとって、大きな意味があった。私の30歳の誕生日を祝うために、旦那さんが用意してくれたのだ。この旅行で30代をどうするか考えた。

私の10代と20代は、家族のために自分の気持ちややりたいことを全部我慢して、自分の人生など考えられない状況だった。ようやく家族から抜け出した20代半ばには、「自分」は何が好きで、何をしたいのか分からず、ボーッと生きて日々をやり過ごしていた。

ライターを始めた3年前から最近まで、Twitterのフォロワー数やブログを読んでくれた数だけで自分の価値を自分で決めて、一喜一憂。常に自分と誰かを比べて劣等感を覚え、「私なんて…」と落ち込んでいた。私が見ている世界は、スマホの画面のように小さい。

そんな中、モントリオールのノートルダム大聖堂へ行った。

「神聖」、「荘厳」という印象を受けた。神様は信じていないが、「神様はいるかもしれん。天国もあるかもしれん。」と思わされる場所だ。こんな祭壇を人間が建てたことにも圧倒された。これは作り物の像ではなく、今まさに自分の目の前に存在しているかのような錯覚にも陥る。立体的な構造のため、そう見えるのだ。こういう場所なら”神”のお告げだって聞こえるかもしれない。

多くの人が頻繁に使う「スゴイ」って言葉は、こういう物を見たときに使うのが正しいんだろうな。

私は30分ほどイスに座り祭壇を静かに眺めて、こんな考えを巡らせた。

人間関係など繰り返し同じことで悩んでいるのがバカらしい。自分が行動して変えられることに悩むのは学びがあるけれど、変えられない人の気持ちに悩むのは自分が辛いだけ。そういう堂々巡りな考えは止めないとな。

「私はこう思うのに、言ったらアカンよな」と人の目を極端に気にして、私は自分がしたいことができていない。他人と比べるのもいいけど、毎日私は自分のベストを尽くせているんやろうか。昨日の自分に比べたら、頑張っていると言えるかな。

私は誰かに「特別な存在」だと認めてほしいためにSNSをして、文章を書いている。だから人の評価が気になる。ライクをもらえるのは嬉しいけど、それにとらわれていると、私は何に感動して、何が好きなのか分からなくなる。

人のためじゃなく、まずは自分自身のために、思ったこと、感じたこと、好きなことを書くようにしたい。それが自分を知ることに繋がるのではないか。できていること、これが好き、大事にしているものを知って、それを堂々と言葉にできるようになりたい。30代は、私と同じものを好きな人が集まるようにしたい。

もちろん、何事もそんなにすぐは変わらない。でも昨日の自分と比べて「できた」、「できていない」を見ている。文章は「こう書いた方がいいかな」と思う時は一度立ち止まって、「私はどう書きたいの?」と自問自答するようにしている。

この旅行は私の背中を押してくれて、考えを固めることができた。

そういった意味で、旅は普段自分が考えないことを考え、行動させるキッカケになると思ったのだ。


サポートありがとうございます。