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言葉をサボって蘇る、友達との苦い思い出

言葉をサボっていはいけない。しなくていい勘違いやすれ違いが生まれて、人との関係がうまく行かないことがあるから。

最近、私の1日がnoteを書くだけで終わっている(生活に必要なこと、家事を除いて)。主婦だから時間はたくさんあるのに、他のやりたいことができていない。

そこで、時間割表を作るのを旦那さんに手伝ってもらうことにした。今年の初めにも彼に手伝ってもらって、Notionで時間割表を作成したにも関わらず、わずか3ヶ月で使わなくなった。

その原因を考えると、色々入力する項目を作りすぎて面倒になったからだ。じゃあ、今から作る時間割表はどうしたいのか聞かれた。

私は「シンプルで使いやすいのがいい」と答えた。頭の中ではすでにイメージが出来ていて、彼も私の思う「シンプル」をもう分かってくれていると思った。

でも彼から返ってきたのは、「シンプルってどんなの?どんなのがまいの思う使いやすい、なの?」だった。

いくら私のことをよく知っていて、観察眼が鋭い彼でも、心が読めるわけではない。

改めて聞かれると、頭の中のイメージを説明するのは難しい。それに自分で使うもの、持つものは「シンプル」なものが多いけど、どう使いやすいのかなんて考えたことなかった。

「シンプル」で思い浮かんだのが、私が愛用しているiPhone、Chromebook、Google keep。それらに関連しているのは感覚的に使える→頭を使わなくてもいい→めんどくさくない、だ。

私が物に求める「シンプル」は、「めんどくさい」を排除してくれるものだ。

言葉ってあやふやだな。言葉は柔軟なものだから、いろんな表現ができて楽しい。だた、「面倒」だからと言葉をサボると、人と心がズレていく。過去の苦い経験を思い出す。

何年か前、私には仲良しグループがいた。カフェも、買い物も、映画も、どこ行くのもみんな一緒。どの人も明るくて、優しくて、気が合う。

Aちゃんがグループの”リーダー”だった。彼女が「かわいい」と言えば、みんなも「かわいい」と言う。でもある日、私にはどう見てもかわいくないものがあった。単なる疑問で「どこがどうかわいいの?」と普通に聞いた。Aちゃんがムッとして、みんなが私を睨む。

いけない、仲良しレベルが下がってしまう。同時に、私たちのグループは会話をしていないことに気がついた。「かわいい」「美味しい」「すごい」で”会話”が成り立っている。気が合うと思っていたけど、実は全然違う認識や価値観があるのでは?

私は彼女たちに自分の話をほとんどしたことがない。いつもどこか気を使っている。彼女たちが何が好きで、どんなことに興味があるかも知らない。どの子も当たり障りないこと言って、Aちゃんの機嫌に合わせているように見える。

私はもっとみんなと会話がしたくて、興味があることを質問した。私も具体的に何が可愛いのか、美味しいのか話した。

だけど彼女たちはそういう付き合いは求めていなかったらしく、自然と疎遠になった。誰が悪いとかではなく、単に付き合い方の違いだった。でも難しいね、乙女心ってのは。

お互いの意識や言葉のズレで、しなくていい勘違いがあったかもしれない。もっと話し合えば何とかなった関係もあったかもしれない。「たられば」だとしても、どうにかできた関係を続けられなかったのは辛いし、寂しい。

この苦い思い出と、旦那さんとの「シンプル」話から、言葉をサボってはいけないと改めて思った。

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