【1993字】夢を未完で捨てられた

 私がとても暗い気持ちでとても暗い小説を書いていたとき、俠もまた、彼の暗いくらい宇宙の真っただ中に居た。

私はじつに七年間、俠のそばを離れたり離れなかったりしながら、その、どうしようもない方にばかり広がる宇宙の存在を感じ取ってはいたものの、どうにかしようとしなかった。どうにかすることができない問題だったし、どうにかしてあげたいとも思わなかった。

じっさい私が、取り急ぎどうにかしなければならなかったのは、自分のどうしようもない小説のほうだったからである。

去年の暮れに俠は死んで、ちょうどそのとき小説は出来た。

十万字の短い小説で、読み返しても膨張した自我以外に何が書かれてあるか分からないようなちゃちな代物だった。

自分を含む誰をも幸せにしないような屈折した文章だった。

私はそれにタイトルをつけかねたまま、名前も知らない汚れた海に放り捨てた。みかんの皮や、生前なんの役に立っていたのか分からない発泡スチロールや、鳥の羽や、駄菓子の空袋なんかが自由にぷかぷか浮かんでいるような田舎の海だった。それらと一緒に、私の渾身の原稿用紙はゆらゆら揺られて、そのうち湿り切って沈んでいった。

潮の香りの染みついたコンクリートに四つん這いになって、沈んで行く原稿用紙を見ながら、私はこいつと俠のために泣くべきじゃないのかと思ったけれど泣かなかった。

恥ずかしい小説とさよならできるのは嬉しかった。

明日にでもハローワークに行ってまともな仕事を探そうと思った。まともな仕事についてまともな賃貸に住んでまともな相手と結婚してまともな笑顔を浮かべて実家に帰れるように、母親にまともな暮らしを報告できるように、そうなろう。

とにかくもう、ない才能を無理に信じるような、にがいことはしなくていい。

嬉しかった。

原稿用紙は沈んでいった。

私はさよならと言ったけどそいつは私にさよならと言わなかった。俠もこんなふうに沈んでいったのだろうかと思った。ゆらゆらと自由に浮かんで揺れて、そして海にのまれて沈んでいったのだろうか。紙みたいに、ふうわりと、もがくことなく、踊ることなく。

ひとを死に至らしめるものは何だろう。

だけどこうして私は私を苦しめ続けていた夢と綺麗に決別することができた。

平凡でいいんだと思うと世界は驚くほど凪いでいた。

まとわりつく潮風は私のことをひとつも傷つけなかった。味方にも敵にもならず、ただ魚の体臭を運んできた。

かつて目に見えるものすべてが敵に見えていた頃があった。

成功者をはじめとする、世界中のだいたいの幸福そうな笑顔が私の嫉妬の対象だった。それは卑屈という一言で片づけてしまえるほどちょっとしたものではなく、ブラックホールみたいに果てしなく黒い邪悪な感情だった。それによって眠れる夜が眠れなくなったり、起きられる朝が起きれなくなったりした。

でもそれはある限定された方向を目指す二十代の若者としてはありふれた感情なのかもしれなかった。

取るに足らない通過点なのかもしれなかった。しかし、ありふれた、とか、取るに足らない、とかいう言葉は当事者には効き目のないものではある。人は自分のつけてきた足跡に対してああだこうだ言うことはできても、足元を評価することはできない。せいぜい歩きやすい靴を履くくらいしか、しようがない。

非凡であろうとすることは孤独になろうとすることである。そして非凡でありたいと思った時点で平凡で、孤独になりたいと思った時点で誰かと共存している。

どうしたって誰かと生きていかなければいけない世界で、私は孤独であり続ける度胸を持ち合わせていなかった。

結局のところ、誰もがそう言った平凡と非凡、共存と孤独のバランスを取りながら生きているのだろう。ひとりで生きてはいけるけどひとりぼっちでは生きられない。

俠はひとりぼっちだった。

だから海に沈んだのだ。空気中よりも水中のほうが息をしやすいと思ったのかもしれない。じっさい死んだあとのほうが、のびのびと呼吸しているような気がする。星になるんだか風になるんだか知らないけど、なるべく柔らかくて光ってて遠いものになって、誰の手にも届かないものになって、好きも嫌いも善も悪も及ばないところで、ずっと静かにまどろんでいるような気がする。

俠はよかった。死んでよかった。

俠が小説を書けばよかったのに、と思う。俠は小説を書いていたら死ななかっただろう。それか曲を作っていたら、絵を描いていたら。なんでもいい。彼を死に至らしめた、彼の内側から発生した得体の知れないものを、あの端正な指先から逃がしてやれる手段であればなんでも良かった。

でも俠はなんにも残さなかった。形あるものを一切、身体すら残さなかった。

俠は沈んだ。遺書も書かずに沈んだ。恨み言も言わずに沈んだ。うんともすんとも言わなかった。
すんと取り澄ました空気の、女みたいな冬だった。

私は二十五歳になっていた。



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