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★幸せの洪水の前で

(官能小説系は★をつけます。そんなに官能でなくても、それらしく感じられるものは★をつけます。読みたくない人はスルー。スルースキル発動してください)


*****


待ち合わせた場所へ、時間通りに彼は来た。

至って平凡で、どこにでもいそうな、中年前期の男。優しそうといえば優しそうだし、少し怖いといえば少し怖い印象の。そんなことは私にはどうでもよくて、ただ彼がとても欲しかった。

喉から手が出るほど、私はこの男が欲しかった。

SNSで知り合っただけ。どこの馬の骨かわからない。こんなところでほとんど知らない男と待ち合わせなんかしていることを死んだ両親に知られたら、叱られるどころの騒ぎではないとぼんやり感じる。もう私を叱るような人もいなくて、気にすることはないのに、どこか後ろめたい。

たくさんの人が行き交う道端で、私は彼の目をじっと見つめた。彼も、少しためらった様子で、私のことを見つめている。私も彼も何も言わない。会釈すらしない。二人の間だけ時間が止まったようで、不気味な風が吹いている。なんて言おうか。こんにちは? はじめまして? それともなに。会話ならもう何度もしてきたし、今朝だっておはようと話した。ただし、声は知らない。文字の上だけで。

まるで吸い寄せられるように、彼に惹かれていった。話しかけてきたのは彼のほうで、私は何も考えずに彼と話を始めた。まるで他愛ない誰でも話すようなことばかり話していたつもりが、いつの間にか抜き差しならない内容になった。心と身体を深く探るような、読めば息が上がるような、そんな危うい言葉を交わし続けた。気がついたら、彼が欲しくなっていた。他の誰でもない、この男に抱かれたいと思わずにはいられなかった。

会えば、そんなこと、きっと、思わない。会えばきっと、我にかえる。

そんなちっぽけな希望はすっと消えてなくなり、実体を持って現れた男に、私は引き寄せられた。この唇から危うい言葉たちを囁かれたいと思い、初めて会うこの目に見つめられたいと思った。それを、願っていた。願って、願って、もうかなえられないと挫けていたら、「会おう」と。

会ってどうするの。私たち。

会ってどうしたいのか、わかりもしないのに、会ってしまった。いや、わかっていた。会ってどうしたいのか。抱きしめてもらいたいだけ。それだけのために、ここへ来た。この男でなければ、いけなかった。この男は、私の身体の奥まで知っているから。

文字、だけで。

この男のことを、何も知らない。知っているのは、男であることくらいだ。男であり、女が好きで、私を抱きたいと思っていることくらい。そのくらいしか、私は知らなかった。

私が少しだけ口を開いて、何かを言おうとした途端、彼の指が私の唇をそっと押さえる。目を上げると、何も言うなと言われているような、切なそうな瞳が見えた。

会ってしまって。どうするの、私たち。

腕が伸びてくる。肩を抱かれる。両腕で抱き寄せられる。男の広い胸にすっぽりとおさまる。私の身体が急に小さくなった気がした。耳元に、微かに知らない息がかかる。動悸がひどい。心臓が飛び出しそう。身体中が心臓になったよう。自分の心も身体も頼りなく、何かにすがらなければ立っていられない。

彼の胸に顔を当てて、思わず目を閉じる。何かが流れてくる。洪水のように押し寄せてくる。これがなんなのか、恋とか愛とかそういうものなのか、それとも別の何かなのか、私にはわからなかった。自分の中から大量に流れ出る何かが、私を遠くに連れ去ってしまう。どこへ連れて行くの、私を。怖い。とても、怖い。

会ってしまった。もう、帰れない。

人の行き交う道端で、私は理性を失いそうだった。この男が、愛おしかった。すべてを任せてしまいたいと思った。キスをして、髪を撫でて、指を絡めあって。誰が見ているかもわからないのに、私たちは抱きあっていた。

これは何の洪水だろう。私を流していくこの濁流。あなたもまた、流されているの?

「君が欲しくて、ここまで来た」

指が髪をかき分けてきて、耳元に囁かれる。もう目を開いていることは、できなかった。

好きとか、恋とか愛とか、そんなものではないかもしれない。そう、言ってみれば、ただの性欲とか、そんなものなのかもしれない。

それなのに、目の前の男が、愛おしかった。愛おしくて、可愛くて、抱きしめたかった。抱きしめていた。

私から溢れ出る洪水のような気持ちは、言葉にしないほうがいい。

そんな、シーソーゲームのような、危うさの上に、私たちは抱きあっていた。




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お題「光と闇の間に横たわるもの」
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岩代ゆい

複雑性PTSD、双極性障害2型。世界の片隅で、火を噴くようにものを書きます。読んでくれたあなた、ありがとう。あなたの作品を読みに行くよ。ご感想、お問い合わせはTwitterまでどうぞ(名前が違うからお気をつけて)。

雑多な小説

岩代ゆい作のちょっとした小説です。
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コメント2件

名前も年齢もわからない、性別だけしか記されていないのに、わたしの脳内には鮮明に2人の姿が出来上がって、ゆいさんの作品がまるで一枚の絵画みたいに感じました。
すごいっていう言葉じゃ足りない、わたしはこの感情をなんて伝えればいいのかわかりません。
熱のこもった、愛とも恋とも似ているようで異なるような、羨ましくも少しそこに踏み込むのが怖いような。
読めて幸せです。
ありがとうございます!
いちかさん、ありがとうございます!とても微妙な距離感の二人を書いてみました。読んでくださってありがとうございます!一枚の絵画みたいなんて、嬉しいお言葉ありがとうございます。この二人の先は全然わからないのですが、何かが始まるのかな?読んでくださって嬉しいです!!感謝です!
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