見出し画像

不登校をきっかけに「あれしなさい、これしなさい」をやめた話

親になってからというもの
子どもには事あるごとに
あれしなさい、これしなさいと言って来た

子どもが将来苦労しないように
子どもが自分のことを自分でできるように
周囲の目を気にして
学校の先生から叱られないように
そして
私の仕事や家事が効率よく予定通りに回るように...

だが、子どもが不登校になってから
これまで当たり前のように
あれしなさい、これしなさいと言うことは
間違っていたのじゃないか
これから先は、それを変えていきたい
そう思うことが増えた

子どもをレールに乗せようとしていた?

これまでの子育てを振り返ると
親が思ったように

学校に上がる前には...
少しは読み書きができるようになってほしいとか

学校に上がれば...
宿題をやってほしい
1人で学校に通えるようになってほしい
友達を作って外で遊んで欲しい

不登校になれば...
学校に少しでも足を運んでほしいとか
普通級でなく、支援級という道を切り拓けば、行くのではないかとか
フリースクールに入ってほしいだとか

とにかく、子どもにこうなって欲しいがための働きかけや、声かけはとてもよくして来たと思う

親が思い描く「こっちの道が合っていそう」とか、「こっちの道に進めば安心だ(親が)」という、
親が敷いたレールに乗せよう!と必死になっていた

だがそれは「親の願い」であって
「子どもの願い」では一切ないと知った

「レールに乗せる」という考えを、一変させた転機

今年の2月に、とあるフリースクールの入会を断られた
「本人が入会を希望していないから」
それが、入会を断られた理由だった

そこで頭をガツンと殴られたような気がして
私はしばらくショックで塞ぎ込んでいた

でもそれが親の私にとって
「子どもに対する親の向き合い方」について
考えを変化させられるひとつの転機だったような気がする

親が考える「良い道」を選んで欲しいという想い

「こうした方が、失敗しないから」
「時間がないから、お母さんがやる」
「お母さんは仕事をしていて、時間がないから」
「あなたも、色んな経験をした方が良いと思うから」
と言って
子どもの気持ちや、意見を聞くより先に
私が動いてばかりだった

親であれば、親が子どものために最善の道を経験させてあげたい
親だから、親の責任で最大限できることをしてあげなければ

多くの親がそう思うのではないだろうか
例にもれず この私も
わが子のためを思って・・・
子どもを「自分の考える良い方」に導こうと子育てをしてきた

ところが、ある程度の年齢までは
それで通用していたが

小4にもなった「不登校」の息子は
親が良いだろうと思う道を大きく外れ
自分で学校に行かないと選択した

つまり息子、生き方を変えた時点で
その親の考え方こそが
現在の息子を苦しめる事になると気がついたのだ

「子どもと私は別人格」であるということ

不登校の子どもについて考えていく時に
経験者の方がよく口にするのは
「子どもと自分は別人格である」という事である

何を当たり前な・・・と思うかもしれないが
それを私は、頭の中で分かったふりをしながら、全くできていなかった

だがしかし
「子どもと私は別人格である」
つまり子どもの進路や、日々の小さな選択を
大人がその代わりを務めてあげることはできないのだ

そのことに気づく事に遅いも、早いもないが
今ここで気がついたのだから、自分の考え方を変えていこうと思ったのだ

それを知ってからは
息子が私の思ったような答えを出さず
どうしてもモヤモヤしてしまう度に
「息子に〇〇して欲しいと思ったのは、息子ではない。別人格の私なのだ…。」と
心の中で唱えるようにした

本人が考え、本人が選択していく事

不登校の子を持つ経験者の中で
繰り返し言われている事のもうひとつに

たとえ、その結果失敗に繋がったとしても
「本人が考え、本人が選択することを経験させた方が良い」という事がある

親が選んだのではなく、自分が自分の責任で選択する

そしてその結果、たとえ失敗しても、また軌道修正したり、
それも学びだと知ることから、人は成長していくのだそうな

最初知った時は
「失敗すると分かっているのに、親が黙って見ているのは辛い」と思った
だがしかし
そう思うのは、母の私であって
主体である「子ども自身」はそう思っていないのだ
というロジックを聞いて、ハッとしたのである!

確かに子ども時代の自分に置き換えて考えたら
母親が何にでも口を出して、あれこれ決めてしまったり
小さな心配を掛けられる事がどれほどウザかったか
かなり如実に思い出したのである(笑)

親というフィルターを通して、わが子を見ると
「愛するわが子の傷つく姿を見たくないとか、失敗させたくない」
などの気持ちが先走ってしまう

でもそれは子どもから見たら
「信用されていない」、「尊重されていない」、
「僕を大事にするふりをして、親は親のしたいことを僕にさせるだけだ」
ということなのだ

僕はもう大丈夫だから!

つい親目線で、考えてきた私だったが
私が母としての思いを押し付けてきたなと気づくとほぼ同時に

今まで上手に言語化してこなかった息子だったが
「自分の考えを尊重して欲しい」
というような主旨のことを訴えてくることが増えた

「僕はもう大丈夫だから、心配するな」
「僕はもう1人で過ごせる」
「母ちゃんは働いておいで」
「お昼ご飯は自分で決めて、自分で用意する」
「(その質問には...今は答えられないので)考えておく」
「今日はやめておくよ」
「やっぱり行かない」
「不安だから、やめておく」
こんな言葉が聞かれるようになった

すると私も
「そう思うなら、そうしたら良いじゃん!?」
子どもの成長に、少し寂しさを感じつつも
どちらか言うと
「なんだかんだ言って成長してるんだな。嬉しいな」
と思えるようになった

子どもが不登校になって良かったと言えるかどうかは分からないが

不登校になったからこそ
彼は彼のペースで成長していくのだと知ったし
私は親の役割なんかに拘らず
彼をもっと信用していこうと思えた

親としてと生き方、考え方を
今ここで、少しはシフトチェンジできたことを
実はとても感謝しているのだ

あれしなさい、これしなさいを
全てやめられたかというと
現実的には少々難しいが

私は母業を、早く卒業するべく
母子ではなく、お互いの違った個々の存在として
対等に付き合っていけるようにと思っている


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?