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仕事内容<<<仕事へ取り組む自分の心

2023年後半の自分の中での大きな変化は、仕事への取り組み方です。仕事内容は前と全く同じなので、側から見ると、何も変わっていないように見えると思います。

私は、自分の仕事が、好きになれませんでした。新卒で内定をくれた某メーカーの開発施設で、主に税務・予実管理・庶務全般をこまごまと行う仕事。福利厚生は厚く、サービス残業もなく、上司も周囲の同僚も温厚で、ひとりで暮らすのに十二分の給与がありながら、どうしても満たされない虚しさがありました(怒られちゃいますよね)。

なぜかというと、
一、誰かの何かの直接の益になっている仕事ではないこと。
二、月末決算に必要な情報を集めて抽出し、上に提出するのが私の主目的で、そこには精神的・人格的な交流が一切欠けていること。
三、売上を伸ばし他社に勝つのが会社の至上命題なので、物質主義的価値観が大前提である集団だということ。
四、私の心が欲する「神との親しい交わり」が「一体どこにあろうか?」と疑問を持つ環境であること。

「だったら、なぜそんな仕事をしているの?辞めればいいじゃない。」という意見もあると思うのですが、ここは、私の全9ヶ月に及ぶ就職活動の最後の最後に出た唯一の内定先なのです。
「クリエイティブな、または文化的な仕事」を祈り求めていた私は、コロナ禍の2021年の就職活動では、最終面接まで行けても、ことごとく敗北しました。修論の期限も迫り、卒業できなければ多額の奨学金も全部返さないといけなくなるという大ピンチ。
そこで私は、「条件も待遇も仕事内容も、自分の願望をすべて手放して、一切を神の手に委ねます・・・どうか、あなたが私を置きたい職場へ私を置いてください。しのごの言わずに、受け入れます」と祈りました。その途端、全てがうまく進んで、初めての内定が出ました。「民間企業としてあなたみたいな人は採用したことが無いけれど、何か周囲に良い影響を与えることもあろうかと思って」採用が決まったと後から人事担当が教えてくれました。スキルや資格といった形あるもの・証明できるものではなく、良い何かをもたらすかもという確証のない予感で採ってくれたのです。この仕事は「神様の手による采配だな」と直感しました。だから、神様の真意を知るためにも、この会社にいたいと思っているのです。

私はもともと、行き当たりばったりで段取りがわるく、実用的なことが苦手で、理屈より感覚型で、色とか形ばかりが気になり、会社で使えそうなスキルは英語以外は今のところ持ち合わせていません(留学さまさまです)。そのことを毎度毎度、痛感させられる社会人1年目と2年目でした。もちろん、補う努力は自分なりにしていますが。

週の大半を会社の中で過ごし、企業の価値観に溶け込み世俗生活を送る自分。一方で、神との親しい交わりを心から求めて、ひとりの時は内的生活を送る自分。両者はまるで平行線で、まるで二重人格のような、二重生活のような、そういう苦しさが付き纏っていました。

私は祈る時、誰かを取次ぐ祈り・・・つまり、とりなしの祈りに偏っていたのですが、ある時、「今自分の置かれた状況が苦しいです」と告白することにしました。どうしたら神様の「道具」として、自分自身を職業生活で用いることができるだろう?どうしたら天から与えられた私の能力や特性を発揮して、成果を天に返すことができるだろう?
それは転職?異動?それとも今いる場所で?
わかりません、示してください。
と祈りました。

しばらくすると、ふと、ある事柄が心に浮かんできました。

"Sanctify one’s ordinary occupations."
(一般的な仕事を聖なるものに転ぜよ)

私は留学時代、洗礼を受ける前でしたが、約2年超にわたり、とあるカトリックの修道会的な組織の運営するコミュニティ兼学生寮にお世話になっていました。上記の文句は、その団体のモットー。名前を言ってしまうと、Opus Deiという団体です。
修道会「的」というのは、この組織はおもに生涯独身で信仰生活を送る人々から形成されていますが、世間から距離を置いた修道院で修道生活を送るのではなく、コミュニティに居住しつつ、世の職業に就いているということです。たとえば、普通の会社員、学校の先生、研究者、何かのフリーランス・・・などなどです。
つまり、現代社会においては、「世間の只中を修道の場としなさい」ということかなと思います。修道院よりも、はるかに雑音の多い、世間の只中でこそ。祈り、探究し、目を覚まし、耳を澄ます者になりなさい。そういう理念なのかなぁと、改めて思い返していました。

そこでふと、これこそ、今の自分が第一に掲げるべき思想であると思ったのです。

決算処理に必要な数字とデータをきれいに間違えずに集める仕事、誰かの何かの役に立っている実感のない仕事、体温のない無機的な仕事。
それでも・・・私にデータをくれる人がいて、渡す人がいます。何かで困った人は真っ先に総務の席へやってきます。子育て中のママさん社員は私がいるのを当てにしています。なにかに悩んで、私を食事に誘って相談してくれる同期がいます。夕方に無駄話をしに来る人がちらほらいます(笑)。

私はこういった一つ一つにおいて、「終える」ことだけではなく、「いまここに神の介入を求めよう。業務は業務だけど、同時に何らかの神のみ心を行う人になろう。いま目の前にいる人へ、神の領域から流れ出る『祝福の水路』となろう」といった目標を立てました。その目標に心を向け続け、注力し続けることを、会社にいながらも私の本物の仕事にしようと決めました。

なので、私は自分のことを「総合職社員です」とは思わなくなりました。

「今はここで修道しています」

それだけ。

この考えに取り組み始めたのは、つい1ヶ月前くらいのことですが、「二重生活を送っている苦しさ」が消えていきました。きっと、さらに1か月、1年と継続していけば、もっと大きな、現時点で予想もしないような変化が現れるはずと信じています。

私自身を神の手に委ねて、もっと多くの場面で用いられ、より大きい聖霊の器となり、周囲の人にとってそして神にとって益となる、喜ばしい存在に、日ごとになっていけますように・・・・・

それが今年の目標。

ちなみにこちらの動画。共感の嵐です。






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