私にとっての「たすかり」とは 中河学生会委員長 杉本美嘉


はじめに


私は現在、直属教会の中河学生会で委員長をさせていただいております。
また、有難いことにいろいろなご縁で教区の学生会や本部の学生会の行事に参加させていただいたり、スタッフをさせていただいております。
学生会活動の中で、よく「たすかり」「たすかる」という言葉を耳にします。
活動方針を話し合う場であったり、スタッフが中心となって行う行事では必ずといっていいほど「学生会はたすかるところだ」「学生会活動を通して一人でも多くの人にたすかってもらいたい」という話題が出ます。
しかし、私はこの「たすかる」という言葉に少々引っ掛かりを感じていました。
私は大学に入学してから3年間学生会活動をしてきましたが、活動を通して「たすかった」と感じたことは一度もありません。
もっといえば、生まれてから今までの21年間のなかで「ああ、たすかったな」「たすかりだな」と心から思ったことなんてないように感じていました。
ですから、一言「たすかる」といっても、とても難しいことだと思っていました。

身上


私には物心がついたころから持病がありました。
この病気は生死にかかわるものではありませんが、私の人生に大きな影響をもたらしています。
私は中学生の頃までは自分に病気があること、人と違うということを認めることができず、病院に通うことも薬を飲むこともひどく嫌がっていました。
天理高校に進学することになり、実家から通うには少し時間がかかるため寮に入ることになりました。
当時の私は親元を離れることに少し不安はありましたが、病気については何とかなるだろうとほとんど不安を持っておらず、また、両親も天理という神様の膝元で過ごさせていただくからきっと病気もよくなるだろうと思っていたようで、対して心配していなかったように思います。
しかし、寮に入寮してから病気はよくなるどころか悪化の一途をたどっていきました。
さらに、入寮して半年ほどはなかなか幹事さんにも頼ることができず、しんどくなったしまったときは自身で対処しなければいけなかったので、私は人生で一番つらくしんどい時間を過ごすこととなりました。
何度も泣きながら母に電話して、帰りたいなどの弱音もたくさん吐きました。
しかし、そんな生活の中で、自身の病気について認めるようになり、少しずつ病気と向き合うことができるようになっていきました。
病気を治したいと思い、病院に通ったり、治療に取り組んだり、薬を飲むようになりました。
毎晩幹事さんにおさづけをしてもらい、おふでさきを読ませていただいておりました。
中学生の頃までは自分が病気であること、また自身の病気について話ことに抵抗がありましたが、友人に病気の話をしたり、寮のまなび後に感話をさせていただき、自身の病気やそれに伴った辛い経験をお話しさせていただくこともありました。

本当の「たすかり」


私は高校生の時に毎晩おさづけをしていただいていたのにも関わらず、病気が完全に治らなかったので、自分はたすかっていないと思っていました。
全快のご守護をいただけていないということは自身の心遣いがよくなかったのだろうかと思うこともありました。
しかし、最近、私にとって病気と向き合うことができたこと自体が「たすかり」だったのではないかと考えるようになりました。
この病気を通して、たくさん辛くしんどい経験をしましたが、普通に生きることがどんなにありがたいことか、元気でいれることがどんなに幸せなことかを身に染みて感じることができました。
私は身上・事情は神様がおたすけをするための道具となるように与えてくださるものだと考えているようにしています。
だからきっと、この経験をした私だからできるおたすけがあって、この経験がいつか誰かの「たすかり」となるように思います。
そして、それが現実になった時に私も「たすかる」のだと思っています。
また、稿本天理教教祖伝逸話篇に
「すっきり救けてもらうよりは、少しぐらい残っていた方が、前生のいんねんもよく悟れるし、いつまでも忘れなくて、それが本当のたすかりやで。(一四七 本当のたすかり)」
とあるように、全快のご守護をいただくことだけが「たすかり」ではなく、快方に向かっていることも大きなご守護であり、「たすかり」だと思いました。
こう考えれば、「たすかり」というのは難しいことではなく、身の回りにたくさんあるもので、私が探そうとしていなかっただけなのかもしれません。

現在でも病気は完治しておりませんが、高校生のころと比べると驚くほど落ち着いております。
完治は難しいかもしれませんが自分なりにこの病気を付き合っていけたらなと思っています。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?