陽気ぐらしのプロフェッショナルたち 教会本部 仲野かれん

始めに


なぜ、母国から1万3000キロ離れたどこにあるのかも分からないような小さな都市の神様をそんなにも熱心に信仰できるのか?


と、素朴な疑問を抱いた当時高校3年生の私は、夢を思い続け28歳でアフリカへ足を踏み入れたことを想像できただろうか。


10数年前、高校在学中に「海外布教」について学ぶ機会があり、ビデオで紹介されたのはアフリカ中央部に位置する『コンゴ共和国(教会本部直轄コンゴ・ブラザビル教会)』だった。熱心に日本語でおつとめをつとめる姿や輝かしい笑顔、陽気に過ごす生活風景など、映像から伝わる彼らのエネルギーがひしひしと胸に突き刺さるような不思議な感覚を未だ鮮明に記憶している。これが、私の人生を大きく変える起点となった。

外国語との出会い

天理で生まれ育った私は、天理以外の世界を何一つ知らなかった。コンゴブラザビル教会の存在を知った時、「もし、自分が足を踏み入れたことのないアフリカの見知らぬ土地の神様を心から信仰できるだろうか?」と、疑問を抱いた。「現地に住む彼らと色んな話をしたい」と直感的に思い、志望していた進路を変え外国語の道へ進むことを決めた。元々フランスの植民地下にあったコンゴ共和国は公用語をフランス語としている事を知り、天理大学でフランス語を専攻した。英語もできるわけではなく、内気な性格で、海外なんて怖いしわざわざ行くなんて、、と思っていた私は、留学生活や2度に渡るヨーロッパ出張所での御用などを通して海外が大好きになった。天理から出たことのなかった私にとって、外の世界は陽もあれば陰もあり、全てが自分にとって良い影響だったと感じている。外国語と出会ったことで、私の人生は明るくなった。

諦めなければ、神様がちょうどいい時にちょうどいいタイミングで運んでくださる

振り返ってみると、「コンゴへ行きたいんですよね」と割と色んな人に言いふらしていた気がする。よく驚かれ珍しがられた。そう思う人は多数派だが、周りから何を言われようと意志がブレたことは無かった。だが、そう簡単に1人で行ける場所ではない。生涯で1度は必ず行きたいと、きっとまだ先だろうと思っていたのも束の間、昨年の春頃に「いよいよコンゴへ行きませんか?」と大学の恩師から連絡が入った。実は過去に何度かチャンスはあったのだが、タイミングがあわなかった。それから話はスムーズに進み、昨年の8月に長年の夢が叶った。大学在学中や卒業後も研究室へ行ってはコンゴへ行きたいと幾度も恩師へ話していた事を思い出す。恩師夫妻と渡航することは家族も安心してくれて、ちょうど良い「今」「形」を選んでくださったのだと、神様の親心に胸が熱くなった。


知らないことを知れた嬉しさと葛藤

憧れのコンゴへ足を踏み入れた時、色んな感情が込み上げ涙が止まらなかった。しかし、実際に目の前に広がる景色は、これまで見てきた映像の中の世界だけでなく、映像には映りきらない部分が遥かに多かった。空気はほこりっぽく、説明のしようがない鼻をつく匂いに初めは馴染めなかった。教会の位置するブラザビルは首都であるが、歩道は砂浜を歩いているような感覚で、道端にはゴミが広がり、平気でその上を子供達が走って行く景色が日常だ。街に出歩くと、パーニュと呼ばれる生地で仕立てた華やかな服を身に纏い、頭の上に水タンクやタライを乗せて颯爽と歩いて行くマダムや、パラソルの下で野菜や衣類を売ったり商売する光景はアフリカらしさを感じた。街は賑やかで、大きな声で遠くの人と会話したり、大きな声で笑っていたり怒鳴っていたり全身で自分を表現しているのが清々しく感じた。彼らの国民性をどんどん知れて面白かった。街を進み続けると、中枢機関との生活レベルの差があまりにも激しく、首都圏の中でも格差社会があることを知った。見た景色を現実としてありのまま受け入れることにしばらく時間がかかった。こうやって少しずつ知らない世界を知ることが大人になることなんだと、頭と心はしばらく荒れていた。



心の目線を下げた日々を送っているだろうか

滞在期間が進む中で、「普通ってなんだろう、幸せってなんだろう」と考えることが増えた。私が、コンゴ人と比較したり日本人で良かったとか優劣をつけたり差別的に観た訳ではない。確かに、インフラ整備がまだまだ整っていないこの国で、水が止まったり停電が起こったり不便に感じることは多々ある。しかし、「日本ではこんな経験ないだろう」と彼らは笑っている。日本と比較すれば、あるもの、できることがここには無いことが多い。だが、彼らはあるものを大切にして、知恵を働かし、何より生きることに一生懸命なのだ。いつも大声で笑うそんな彼らが大好きだ。音楽が流れるとすぐに踊り出す彼らを見ていると、私たちより幸せに見えて楽しく過ごしていて「幸せには色んな形がある」事を教わった。私は日頃から恵まれすぎている環境で生活し、大切なことを見落としている事に気づいた途端、恥ずかしくなった。同時に彼らの生き方を羨ましくも思った。

周りの人を巻き込んで陽気のプロを増やして行きたい

日本のように籍を入れる習慣がないコンゴでは、家族の形態が様々で大家族が多い。だが、血縁関係がなくても仲が良く助け合っていて、天理教の目指す陽気ぐらしや助け合いが幼い頃から身についているように感じた。最低賃金が低く、就職率より失業率の高いこの国では、生きるために自分たちでどうにかしてお金を稼ぎ生計を立てなければならない。おぢばへ帰るにも膨大な費用がかかる。パスポートを取得するにも航空券を買うにも時間と費用がかかり、簡単には帰れない。航空券を用意するだけで、ざっと一人当たり100万円はかかる。現地通貨は、日本円の約5倍の価値になるから500万円だ。この金額を出してまでおぢば帰りをしたいと思うだろうか?と、我々に問いたい。おぢばに帰ったことのある信者が圧倒的に少ないこの国で、なぜこんなにも熱心に神様を求められるのか。かたや、おぢばに住んでいる私。離れて気づくおぢばのありがたみ、離れないと気付けない情けなさ。こんな私にとって彼らと出会うことは必然だったんだ、と帰国してから思う節が度々ある。今回の滞在で、人生に欠かすことのできない「信仰」について大切なことを沢山学んだ。たったの3週間かもしれないが、かけがえのない時間で貴重な財産だ。彼らの熱心な信仰の姿を実際に見てもらうことはできないけれど、おやさまを慕い、布教所や講社祭には教会の住み込み全員が華やかに着飾りバスに乗り込み、陽気なおつとめをするお道の仲間がいる事を1人でも多くの人に知ってもらいたい。肌の色や文化や言語も違うけれど、目指すものは同じいちれつ兄弟だ。まず、おぢばにいる私(たち)から教祖140年祭に向けて陽気の種をしっかり蒔いていきたい。2年後に立派な花を咲かせるためには日頃からの通り方、心の在り方が重要となる。これからの人生、現地で見た景色、肌で感じた事を周りの人にどんどん伝えていきたい。私にとって、エネルギーになっているのは、やっぱり、笑って歌って踊って明るく過ごす彼らの存在だ。今も陽気ぐらしのプロフェッショナルたちの声がすぐそこで聞こえてきそうだ。

教会本部 仲野かれん

次回は1月11日谷垣みさきさんです!

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