生かされている使命 倉吉分教会/市川周次郎


大きい「モミの木」

突然ですが、みなさんの住んでいる家や教会には、木が生えていますか?

私が生まれ育った教会には、大きく育った「モミの木」がありました。その高さ、神殿よりはるかに高い約15m。
「モミの木」と聞いて、みなさんはどんな木かパッと思い浮かぶでしょうか?
『クリスマスツリーの木』。そう言われると、「あんな感じかな?」と思い浮かぶでしょうか。

さて、モミの木は、ある問題を抱えていました。
それは、「倒れたら大変だ」ということ。

15mもある大きなモミの木。手前に倒れると、教会の神殿が潰れてしまいます。右には教職舎。左には民家。向かい側には交通量の多い道路。どこへ倒れても大損害。まさに八方塞がり。周囲の方々からも「早く倒さな」と、厄介者のような扱いを受けていました。

教会を襲った落雷

そんなある日、「ズドーン!!」と大きな音と共に雷が落ちました。

あまりにも大きな音と揺れが起きたため、教会の様子を見てまわると、神殿にある分電盤が爆発して、グチャグチャになっていました。どうやら、教会周辺に落ちたようです。しかし、それ以外の大きな被害は見られませんでした。

少し安心して外に出ると、目にしたのは、いつもと違う光景でした。
大きな「モミの木」の枝がバキバキに折れて、葉っぱは落ち、色も枯れ果てていました。
強烈な雷が落ちたのは、教会ではなく、モミの木だったのです。

雷は一番高いところに落ちると聞きます。
その時、直感的に思ったのです。

『モミの木が神殿を守ってくれたんだ』。

と同時に、本で読んだあるお話を思い出しました。

たった一つの役目のために

ある住み込み人さんのお話です。
その方は男性で、精神的な身上を持っておられたそうです。普段は何をするわけでもなく、よくわからないことも言われるため、周りの方も相手にしていなかった。

ある時、詰所で火事が起こった。たまたまその方が通りかかって、「燃えてるよ」と近くの人につぶやいた。それを聞いたほかの青年さんが対処して、火は消し止められたそうです。

それから日が経ったとき、周りの方が、「あの人は何年もおりながら何もしない」と言った。
すると、それを耳にした大教会長様が「何を言うとるか。あの人のお陰で詰所は燃えずにあるんやないか。たった一つの役目のために、何十年も前から神様が遣わす人もあるんや」と仰った。

それを聞いた家族の方は泣いておられた。(『はみだし教会長の朝席咄』若狭一廣)


話をモミの木へ戻しましょう。

モミの木はその後、雷で致命的なダメージを受けたことから、切り倒すことになりました。

切り倒されたあと、参拝に来ていた小さな男の子が、楽しそうに切り株の年輪を数えていました。その数およそ100周だったそうです。

「早く倒さな」と、厄介者のような扱いを受けていたモミの木。
きっと神様がこのときのために、100年も前から先回りしてこの場所へ遣わせてくださっていた。『神殿を守ることがこの木の使命だったのではないか』。そう感じました。

私の使命

私は、3歳のときに母親ががんで出直し、生まれる前には5人の兄姉が流産などで出直し、高校時代には身上や事情が重なり中退するなど、いま思えば前途多難な道だったように思います。

しかし、いま多くの方と関わらせてもらう中で、がんの身上で悩む方、親を早くに亡くされた方、兄弟を亡くされた方、学校を中退して引きこもっている方など、自分と似た境遇の方と引き合わせていただき、話を聞かせてもらうことが多くあります。

今思えば、すべて先回りの御守護で、そうした方と関わらせていただいていることも一つの使命なのかもしれないと感じています。

最後に

「自分はなにをしているんだろう」
「なんのために今ここにいるんだろう」

そんな風に思う日が、私自身にもあります。
しかし、神様は意味があって、今ここにおいてくださっている。
私にも、そしていまこの文章を読んでくださっているあなたにも、きっといま生かされている使命があるのだと思います。

生かされている喜びを胸に、先を楽しみに、
いま自分にできるひとつ一つを積み重ねていきましょう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?