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どこから先が「病気」なの!? (講演より)

みなさん、こんにちはーーー!!

いや本日は、お忙しい中、ずいずい元気になるために来ていただきまして、大変にお疲れ様そして有難うございます!

私、さきほどご紹介にあずかりました、ンマニ伯爵と申します。何をしているかと申しますと、えーここにありますように「精神科医」と「産業医」ですね。精神科の診療所で働いたり、企業向けの労働衛生関連サービスを提供しているわけです。えーと、産業医、ご存知でしょうか。産業医も医者なんですが、治療とかはしないんですね。診断とかもしません。社員さん達の病気や怪我を未然に予防したり、それで休んだ場合の職場復帰をサポートするのが仕事です。

そのほかに、シーランド公国というところ、さあどこでしょうね。そこの伯爵というのをやっております。ご存知ですか? シーランド公国。そんな国、しーらんど。と。そういう感じですね。ご遠慮なさらずに笑っていただいてよろしいんですよ。

さあ、シーランド公国です。グーグルさんの地図で……どこでしょうここは。そう、ヨーロッパのあたりですね。ここにフランス、イギリスとありますが、ドーバー海峡もありますね。その、この辺りです。ここ、拡大しますと、こうですね。やっぱり判りません。陸地はどこでしょう……っと、ないですね。そうです。実はシーランド公国ってのは、こんなです。

私はここにいる、おそらく何百何千もの伯爵のうちの一人なんですね。面白いでしょう。このシーランド公国ってのはいろいろと面白いストーリーもあるんですが、まあ今日は時間もありませんので、ご興味がおありの方は後ほど検索してみてください。

さあ本題にいきましょう!

健康とは? 病気とは?

さてここで問題です。
「健康」ってなんでしょう?

え、いきなり何だ、と思いますか。
今日は病気について聴きにきたのに、なんだ健康って、と。
みんな健康なんだから、健康について聴いても仕方ないだろう、って思いますか。
そうですねえ。でも、ちょっと、お付き合いください。

さて皆さん、「健康」ですか?
いかがですか。
自分を健康だと思われる方、お手を挙げてみていただけますか。
結構いらっしゃいますね。
健康じゃない、と思っておられる方もいらっしゃいますね。

さて、健康だとおっしゃられた方、なぜ自分が「健康」だと思われました?

健康診断で全部A! なるほど! 素晴らしいじゃないですか!

かくいう私はこないだ、コレステロールでひとつ、引っかかってしまいました。お恥ずかしい。医者の不養生、って奴でしょうかね。
他には……はい! なるほど、ごはんが美味しい! それも大事ですね!
おいしくごはんが食べられる。これ、やっぱり健康ならでは、って感じがしますね!
あとは……はい! ふむふむ「なんとなく」。ああ、それもいいですね。なんとなく健康。健康と感じるから健康。いい感じです。「われ思うゆえに我あり」みたいですね。え、少し違いますか。

さて、「自分は健康じゃない」と思われた方、いかがですか。
なるほど、病院にかかってるから、と。血圧のお薬も飲んでいらっしゃると。ふむふむ、ちょっと腰が痛くて、なるほど。

いろんな方々に「健康」についてお話を伺いました。
実際、「健康」って、どういう状態のことなんでしょうね?
医学的には、どうなんでしょう。

これは実は難しい問題です。「医療」は「病気を治す」のが専門です。そのために「通常はこういうのが、異常になって、こうなって」っていうのを調べていくわけです。

だから「健康とは?」って、あまり考えないんですね。健康を突き詰めても、医者がやること何もないですから。そんな時間があったら、治す部分を見つけるよ、と。だから病気には詳しいし、たくさん研究もされてるんですね。私も医者ですから、どんな病気があって、どんな風な治し方があるのか、まあ一般の方よりはよく知って……るはずです。一応、プロですから。

でも今は「健康」の話です。それについて、医者の私が、皆を納得させるような「定義」を語れるかといいますと、これが難しい。

そこでちょっと逃げを打ちまして、WHO……国連の、「世界保健機関」ですね。これは別に「医学や医療の絶対正解」というわけでもないですが、一応、世界的に権威のある、皆さんご存知の、という感じで引き合いに出させていただきます。

そのWHOでは、「健康」について、次のように言ってます。

「身体的・精神的・社会的に完全に良好な状態であり、たんに病気あるいは虚弱でないことではない」

さ、どうでしょう。
皆さん、健康ですか?
先程「健康だ」とおっしゃっていた方々、いかがでしょう。
ここです、ここ。

「完全に良好」

どうですか。完全ですか? 皆さん。
私は……先程いいましたように、コレステロールの値がひとつ、ちょっと超えてしまってまして。あ、もうダメですね。失格です。「完全」ではありませんから。
先程の……そう、「オールA」の方、いらっしゃいました。如何ですか。オールA。

なんだか「完全」ですね。オールAですから。満点です。
……が、どうでしょう?
実は、わからないんです。これでも。
え? 満点なのに? って思われますでしょ。

では先程のかた、オールAの健診のとき、MRI検査はなさいました?
でしょう。普通の健診には入ってないですからね。やりません。
やってない検査で正常かどうか、わかりませんからね。健診でオールAは、「完全な健康」の証明ではないわけです。

じゃあ、人間ドックのフルコースでオールAだったら、って思われますか?
さあそれはいかがでしょう。
それだとさすがに「完全」ですか? いかがですか?
お手を挙げて……そうですね。ちょっと皆さん、警戒されてます?
そう、さすがです皆さん。話の流れをわかっていらっしゃる。

人間ドックのフルコースでも、この世にある医学検査項目の全てをやっているわけではない、ですよね。やっていない検査項目については、どんな状態なのか分らないわけです。

もっと言いますと、この世には「まだ発明されていない医学的な異常の検査方法」や、「いまだに何がどうなって症状が出るのかわからず病名や症状名すらついてない不具合」「異常か正常なのか検知すらできない異常」が、山のようにあります。

例えば「痛み」を測れないですよね。「神経の活動」は測れますが「どのくらい痛いか」は、測れません。なので「痛い」と思って病院に行ったのに「すべての検査では正常」となって、腑に落ちなかったりします。

そう、現代科学の限界、です。医学だけではない、いや、科学だけでもない。どれだけ科学が進んでも、おそらく人体には、人間の認知能力や理解を超えた異常が、必ずあるはずです。人間は神じゃありませんから。

だから「完全」と確認できないのです。

「確認できないけど、ひょっとして完全かもしれないじゃないか」と思われますか?
でも実は、違うんです。完全じゃないんです。完全であることは無いんです。決して。

人間の体を作ってる細胞、これ、分裂してますよね。細胞分裂です。小さな細胞が分裂して増えて、こんな立派な体になるわけです。そして成長の途中も、大人になってからも、生きているかぎり、「新陳代謝」といって常に古い細胞と新しく分裂した細胞が入れ替わってるんですね。

ところがその時に、分裂ミスといいますか、エラーが出ることがあります。これは確率的に起こります。ゼロには出来ません。そのエラーの場所によっては、細胞がどんどん際限なく増えていって様々な障害を引き起こすようなものもあります。
そう、みなさんご存知、「がん細胞」ですね。

「がん細胞」は、一日に数千個も発生しています。毎日、数千個。毎日すべての人、一人ひとりに、ですよ。毎日、です。みなさんに、です。しつこいですか。

でもご安心ください。同じくらいの数だけ、人体の免疫システムで排除されてるんですね。同じくらいの数、排除されていますから、プラスマイナスで、概ね急激に増えたりはせずに済んでいるのです。

これが、もし排除される数が少なければ、どんどん増えて「がん」が発症します。その前に検査で「発見」されるかもしれないですね。でもその「発症」や「発見」の前に、すでに何千何万ものがん細胞が、体内にあるわけです。気づかれないままに。

毎日数千個発生して同じくらいの数が排除されますが、それ、一度に全部排除されて「ゼロ」になるわけじゃないですからね。数千個発生して、一気に数千個消滅、ではなく、少しずつ発生しつつ少しずつ排除。シーソーのように、あっちが増えてじわじわこっちを消して、とやって、トータルで数が安定してると。

だから、私たちの体には「常に」がん細胞が、どこかに存在しているわけです。下手したら、何百も何千もあって「消される」のを待ってたり、それほど増殖しないまま、寿命の時まである、のかもしれません。

すなわち私たちの体は「完全」などではありません。どこかに、必ず、「異常」があります。

脳神経についても、そうです。脳には、栄養を供給する血管が張り巡らされています。脳は、他の臓器と同じようにタンパク質で出来ており、同じようにエネルギーを得て代謝していますから、栄養が血液で運ばれることが必要です。脳の「臓器」としての重さは、人体の二パーセントほどしかありませんが、脳に流れている血液は、全身の実に二十パーセントといわれています。それだけ沢山の血液を流すために、脳には血管が豊富に走っています。そして、細かく分岐し、毛細血管となって静脈となり、また集まって心臓に戻ります。

その大量の毛細血管、この一つが詰まると、どうなるかといいますと……そう、皆さんご存知「脳梗塞」ですね。

脳梗塞の症状、ご存知の方もいらっしゃると思います。脳の血管が詰まりますから、その詰まった部分の脳細胞が働かなくなってしまい、脳のその部分が担う部分が動かなくなってしまうわけです。それで、一部の筋肉や感覚が麻痺してしまったりしてしまいますね。逆に、そういう症状が出たときに、救急病院などで脳の検査をすると、脳の血管が詰まって働かなくなった部分がわかり、脳梗塞、という診断になったりします。

ところがこの、脳の血管が詰まるのは、よくあることなのです。

え、そんな、麻痺とか起こったこと、ないけど、と仰られるかもしれません。しかし、人間、何十年も生きていますと、少しずつ、じわじわと、脳の毛細血管が詰まっていき、脳の一部が機能しなくなっていることが判っています。「無症候性脳梗塞」という言い方もしますが、見つけたときには結構沢山あって「無症候性多発性脳梗塞」という診断がついたりします。症状がないのに、ですよ。特に症状は無い状態で、人間ドックでのMRI検査などで初めて「発見」されるわけです。

「異常」、あったじゃないですか。

「自覚症状」は、なかった、あるいは症状が軽すぎて気にならなかった、気にしなかった、その部分をあまり使わないの気づかなかった、というだけだったんですね。

こういう「脳梗塞」だったからといって急に何かの症状が出るわけでもなく、その後もこれまでと同様、「普通に」生活が可能なわけですね。さしあたり、それで問題はないわけです。平均的な人よりも詰まってる血管がちょっと多いな、という場合は、程度に応じて生活習慣の指導を受ける、その程度だったりするわけです。有酸素運動をしてコレステロールを下げましょうとか、水分ちゃんと取りましょうとか。それでこれ以上に増えるのを防ぎましょう、って感じです。

あるいは胃。みなさん、胃が痛くなったこと、ありますか? どうですか。胃潰瘍とまではいかなくても、胃酸の出過ぎで、胃炎になったことがある、って方もいらっしゃるんじゃないでしょうか。特に症状は無いのに、胃カメラ飲んだら「胃が荒れてますね」と言われたり。実は「異常」があったわけですね。

そして、胃の粘膜というのは、夜間寝ているときに傷つきやすいといわれています。寝ている間に胃炎や胃潰瘍が出来て、起きるころには治ってる、ってなことを繰り返していたりもするわけですね。

あるいは「最近近くのものが見えなくて」もありますよね。「髪の毛が薄く……」も、加齢変化といってしまえばそうですが、まあ、皆さんそういうものを抱えながら、いつもどおりに生活しているわけです。

世間一般的に、「健康な人」と「病人」っていうのは、こんな感じじゃないでしょうか。

そう、私たちは、皆、おそらく全員が、「健康ではない体」で生きて生活しています。「体」にはもちろん、「脳」も入りますよ。「脳の活動のあらわれ」の一部が「精神」ですから、「精神」も完全に健康、という人はこの世にいません。私たちはみんな、カラダもココロも、どっかかしらは、変なんです。必ず。

じゃあ、この図で、みんなグリーンのゾーンなんでしょうか。グリーンの丸が大きく膨らんで、押しやられた赤の健康のゾーンには誰も居ないと。

この中に、そういう意味で「健康」な人は、いないわけですね。完全に健康な人……といいますか、健康が「完全な状態」ですから、そういう人は、いない。いるのは、「病気がすごく少ない人」から「病気があるけどそれなりに生活できてる人」「活動に支障がある人」「重い病気で活動自体ままならない人」まで、区切りがありません。だから実は、こんな感じなんですね。

異常が自覚できたりできなかったり。
検査でわかったりわからなかったり。
状況に応じて、病院に行ったり行かなかったり。
治療をしたりしなかったり。

みんな、その中のどこかにいて、生きていますね。
そう。「健康な人」と「病人」との境目なんか、実はなかったわけです。

「病気」という診断

さてそれは、それぞれの一人の体にある「健康」と「病気」にもあてはまります。

「病気」っていうと、ぱっとこんなイメージです。

そう、さっきの図とほとんど同じです。

そうです、「病気と健康」についても、同じことがいえます。

それぞれの臓器、体の中のパーツですね。これもまた、それぞれみんな、「正常な部分から異常な部分まで、グラデーション状に」広がってます。人間の一人ひとりが「病人かどうか」境目が無いのと同じですね。

特に、「見た目」でわかりにくいような、「働きの異常」の場合はなおさら曖昧です。医学的な検査で、機能や形が、おおむねまあ一定の範囲に収まっていれば、だいたい「正常に機能している」「正常な臓器」とみなされ、そうでないなら「機能の異常」「異常な臓器」とみなして、対処されるわけですが……

健診なんかで、検査をしますよね。あるいは何かの症状があって検査をする。数字が出る。それを、「基準値」に照らし合わせて、正常範囲だとか異常値だとか、言いますよね。こんな感じですか。

これ、「横から」見てみると、こんなことになってしまいます。

なんか変ですよね。「基準値」以下なら正常で安心だよと。でも、「基準値」になった瞬間、いきなりリスク最大、「危険」なんでしょうかね。

そんなはずはないですよねえ。こんなくっきりとした境目は、無いはずです。実際には、先程の、ボヤーッとした状態になってるんじゃないですかね。でも……

「境目が無いなら、どうするの」

って、思いませんでした?
境目が無い、ってことは、それそのもの、要は「病気」を決めることができない、つまり「病気は無い」ってことになるんじゃあ……って。さっきのでも、病人かどうかの境目が無いなら「病気の人は居ない」って、ならなくないですか? と。

そういう場合でも、ちゃんと「病気」はあるんですね。「病気の人」も、います。どうしてでしょう。

ここに、「貧乏な人」と「お金持ちの人」が居るとします。
その「境目」ってどこだと思いますか?
境目、ありますか?
たとえば、「貯金が1千万円あったらお金持ち」だとしましょう。
じゃあ、「999万円」だったら、「貧乏」でしょうか?
999万円から、1万円だけ増えたら、急に「貧乏」から「金持ち」になるでしょうか。

感覚的には、納得できないですよね。そこに境目があるのかどうか、よくわかりません。「境目」を500万円に動かそうが、2000万円に動かそうが、同じことですね。

実際には、「貧乏」と「お金持ち」の間には、「少し貧乏」「平均くらい」「ちょっとお金持ち」といった状態がって、それらの間にも境目なんか無くて、ずーっとクラデーションになっているわけです。

境目が無いですよね。でも、厳然として「貧乏な人」と「お金持ちの人」はこの世に存在しています。貯金がゼロの人と、何十億円もある人に「違いがない」ってことは、ないはずです。なので、「境目が無い」ことは、「概念がない」ということではないのです。

病気についても同様、「境目」は無いんですが、だからといって「病気」や「病気による苦しみ」は消えてしまうわけではないんですね。

さて、患者さんの病気の苦しみをなんとかしようと、医者は病気を診断し、治療しますね。そこで問題が出てきます。「境目が無い」ってことは、病気の程度や悪い部分がわからないということ。

え、それじゃ治療できないじゃんよ、と思われると思います。
境目が無いなら、どうすんの? と。

「無いならつければいい」

わけです。
え、そんな。そんな適当に?

いや、そんな「適当」でもないんです。
病気というのは先程のようにグラデーション状、といいましたが、それを「横から」みると、こんな感じです。

横軸は、例えば血圧の数値とか、コレステロールとか、悪性度とか、そういった量的、質的な軸ですね。右にいけばいくほど危ないというか、リスクが上がるように表現しています。

そしてこの縦軸。この、高さが高くなると、リスク、命に関わるとか、苦しみが強くなるとか、生活に支障が出るとか、そういうものですね。

これ、例えばこのあたりに「線」を引きます。えいっ! っと。
これが、その病気の「診断基準」になります。
えいっ! って、そんないいかげんに?
いや、実はそんな「いいかげん」じゃないですね。

そもそも「病名をつける」って、何のため、でしょうか? いろんな目的がありますが、主な目的は「治療方針を決める」ためです。名前の無い状態では、治療のためのターゲットも何もないわけですから、治療の方針が立ちません。何に対して、何をどうしようというのか、分らないからですね。

「治療のスタートのため」なわけです。そのほかにも、研究調査のための条件を揃えるため、とか、障害認定や保険の申請のために、といった、直接「治療目的」じゃないものもありますが、それは脇においておきましょう。

そして「治療をする」目的は、何でしょう。
え、治療に目的があるのか、と思われますか。
治療は、治療そのものが目的じゃないの? と。

治療って、どうでしょうね。何のために治療しますか? 皆さん。
いま何かの病気で治療中のかた、いかがですか?
何のために、「治療」、してますか?

「楽になるため」
「病気じゃなくなるため」
「健康になるため」

なるほど。そんな感じですか。まとめると、「苦しみを減らして、生活を楽にするため」って感じですかね。「苦しみ」ってのは、痛みや辛さ、もありますが、究極的には「死のリスク」です。なので、「治療」をしても、「苦しみが減らない」とか「死のリスクが減らない」なら、意味がないわけです。

先程のこのグラフの、たとえば、この右側の端のほうを「治療開始の基準」としたら、どうなるでしょう。もう、リスクは最大限で、治療の効果が無いかもしれません。
「手遅れ」というやつです。

現代医療には限界がたくさんありますから、「手遅れ」になってしまっては、手のほどこしようがありません。もちろん、その状態にも、相応の「病名」が付くことはありますが、多くは経過を記録したり把握するための状態を表す言葉で、それ自体に治療的な意義があるわけではありません。

なので、あまり右側に治療開始の基準をもっていくのは意味がありません。
じゃあ、左のほうはどうでしょうか。左のほうならば、手遅れにならず、早め早めの対処になって、これ良いんじゃないかと。

でも、そうなってくると、ほとんどの人が当てはまってしまいます。先程申し上げましたように、私たちすべて、いろんな不具合とともに生きています。

もし「ほんの一つでも癌細胞があれば治療」という基準になったとすると、そのような微量で出たり消えたりするものを調べるのに、膨大な資源……たとえば、医療設備、マンパワー、時間、お金などを費やすことになります。そうやって調べて「癌だ」となった場合でも、そのほとんどが自然に消えて無くなってしまうわけです。そうなると病的意義がありませんから、全てを調べる意味がありません。

そう、一般の方も、医療関係のニュースなどでたまに目にすると思いますが、「過剰診断」という状態になります。基準にあてはまる「病人」だけを増やして、治療を開始してもしなくても、苦しみやその後に亡くなる危険性があまり変わらない状態です。

検査や治療に必要な膨大な資源が、無駄になってしまうわけです。そうなると、その基準自体にあまり意味がなくなります。

なので、できるだけ「意味がある」ようなところに、「基準」が設けられるわけです。

この値なら、このタイミングからなら、観察や治療を開始した時に効果が大きいぞ、と。そういう値になってくるわけです。なので、例えば時間が経つと研究が進んで、リスクの評価が変わったり、新たな検査方法が開発されたり、状況が変化して、治療開始の基準が移動することもあります。

最近の話題では、高血圧、ありましたね。人間ドックの学会と、内科の学会で、意見が対立したり、「薬メーカーの陰謀だ!」という意見があったりしました。陰謀云々は置いときまして、検査がメインの立場、あるいはその後も治療管理する立場でも、「最適」と思う基準は違ってくるわけです。それぞれのリスク評価や診断する意義の考え方で、そういった基準が変わってくるわけですね。

数字にしにくいようなものでも、それに似たようなものです。

一般的な癌の診断では、病理検査というものを行います。これは、癌かどうか疑わしい臓器の一部を、ほんのちょっと切り取って、顕微鏡で観察するものですね。

それで、細胞の様子を見て「悪性度が高い」「悪性度が高い細胞が、たくさんある」などと評価して、最終的にもともとの組織が「癌」かどうかという診断をします。病理診断ですね。これも、「悪性か良性か」という境目がもともと有るわけではなく、調査の結果、「こういう様子の細胞では、その後こういう悪い状態になっていくことが多いから、この状態のときに、悪性、という基準にしよう」「そういう細胞がこのくらい見つかったら、その後こうリスクが上がっていくので、癌、という診断をしよう」といったように、「決めた」基準をもとに診断しているわけです。この場合も、医者は、癌を「発見した」というよりも、「悪そうな度合いを勘案して、これを癌であると決めた」形になるわけです。

そういう形で、線のないグラデーションの中に、「えいやっ!」と線を引くわけです。

なので、医学とか医療とは、人のカラダの中にある、もともと自然に境目がある「悪いもの」を、医者が検査で「発見」して、それを「境目に沿って取り除く」というものをイメージすると、ちょっと違うかな、という感じがします。

「もともと境目の無いもの」の境目を、様々な意義やリスクやコストパフォーマンスを勘案して「えいっ!」と決めて、その境目をもとに、学問的な境目や、治療の「踏ん切り」をつけて、苦しみやリスクが「よりマシ」な状態を目指して処置をする、という感じです。

先程の「貧乏とお金持ち」の話であれば、例えば1千万円未満の資産の人には補助金を出す、といったようなものです。「貧乏」と「お金持ち」の間にはもともと境目がありません。境目が無いところに境目を「えいっ!」と引くのですが、コストとパフォーマンスを計算し、そこに引くことで、限りのあるお金という資源を最大限有効に使うことを意図するわけです。計算によっては、境目はもっと高い値になったり、低い値になったりするわけです。

そして大事なのは、「病気」も同じく、そんな境目は「もともと存在しない」ということです。

それが、医学や医療における基準なわけです。

治療とは何か

診断したら治療ですね。
さてみなさん、「治療」ってなんだと思います?

またですか、という顔が……すみません。
先程、「治療の目的」について、お聞きしましたね。
その時には「楽になるため」「病気じゃなくなるため」「健康になるため」といったお答えがありました。

どうでしょう。「治療」とは。

「病気や怪我を治すこと」
「苦しみを取り去ること」

なるほど、そんな感じでしょうかね。
まあ、そうでしょう。病気や怪我を治すのが、治療といえると思います。
じゃあ、「治る」とは、どういう状態でしょうか?

えー、もういいよ、という顔をされてますね……もうすこし、お付き合いください。ここ、とっても大事です。テストには出ませんけど。

「治る」ですよ。
なるほど、

「元通りになる」
「元気になる」
「その病気がなくなる」

ですか。

「その病気がなくなる」なるほど、これと「元通りになる」は……同じような感じでしょうか。「元通りになる」「病気がなくなる」を考えてみましょうか。

我々の「元」の状態、って、何でしょう?
どういう状態ですか?
その病気になる前の状態、です。
どうでしょう。

先程の「診断」のお話で、「病気の境目」について、説明しましたが、それを踏まえて「病気になる前の状態」って、この「基準の直前」、ですよね。どうですか。病気と診断される前の状態。これに「戻る」ということは、どういう状態でしょうね。

……そう、「もうすぐ病気になりますよ」って状態ですね。
やばいです。元の状態、病気になる前の状態って、これですから。
これ、「治る」っていいますかね。微妙ですかね。

もうひとつの「その病気がなくなる」ですが、これ、どうでしょうね。
これはグラフでいけば、一番左……でも、ゼロじゃないですね。

まあ、診断基準以下ですから、ある意味「病気じゃない」といえばそうですが、でもそうじゃなく、おっしゃりたいのは「病気の芽が一切ない」こと、ですよね。

そういう状態は、あるんでしょうか。
先程、最初のほうで説明いたしましたことを考えてみますと……これはなかなか難しい状態と言わざるをえませんね。いったんなった病気を「完全になくす」ことは出来るんでしょうか。病気になったってことは、もともとそういう「病気の芽」がどこかにあって、それが大きくなったり小さくなったり、いろんなバランスの関係で、どんどん育ってしまって、診断基準を越えてしまい……ということです。

もちろん、原因を完全に取り去れるような病気もありますね。虫垂炎、俗に「盲腸」といわれるアレは、虫垂を手術で取ってしまえば、原因からして無くなります。ただ、そこに炎症を起こすような原因が消え去ったか、といわれるとなんとも言えないですね。また、「元あったものを取り去ってしまった」わけですから、「元通りじゃない」ともいえます。

傷の治療をすれば、痛みや感染は治まるでしょうが、多くの場合は傷跡が残ります。骨折なども、治ったあとに、表面からは見えないですが、レントゲンなんかで痕跡が残ったりします。

細菌やウィルスに感染して、それらからくる病気に打ち勝って細菌やウィルスが体から完全に無くなったとしましょう。それでも、「元通り」かといいますと、どうでしょうね。細菌を殺すために使った抗生物質のために、もともと体内にあって色んな働きをしていた他の細菌が死んでしまって、細菌の種類が変わってしまったかもしれませんね。

あるいは、その細菌やウィルスに対する抗体、免疫のためのシステムが新たに追加されるかもしれません。これ自体はそうそう悪さをしない……ですが。ともかく、免疫の状態が変わってしまいますので、「元通り」ではないわけです。

このように、「元通り」ってのは、とても難しいことです。

癌の治療、例えば胃癌。これはおおむね、手術可能であれば胃の一部を切り取る、というのが治療の主流です。切り取ってしまいますから「元通り」ではありません。死ぬリスクと引き換えに、胃の持つ消化の機能を一部制限した形で対処したわけです。

白血病はどうでしょう。これは、血液の細胞に「悪い細胞」になってしまったのがあって、それが際限なく増えてしまう病気です。色んな治療で、白血球の数が正常になって「悪い細胞」が確認できなくなった。「治った」かというと、あまりそういう表現はしないんですね。「寛解」といって、「静かに収まっている」という状態です。これも「元通り」が考えにくい病気です。

糖尿病などの慢性病でも、「元通り」は難しいです。「元通り」とは何か、ということにも繋がります。

血糖値が安定したら、「元通り」か。どうでしょう。

子供のころからインスリンが必要な糖尿病の場合「元通り」とは、どういう状態でしょうか。大人になってから生活習慣病として糖尿病になった場合。毎日数回インスリンを注射したり薬を飲んでいれば血糖値が安定、という状態は「元通り」でしょうか。「治った」と思いますか?

頑張ってダイエットして、血糖値が安定、薬も不要になった。ダイエットしたり有酸素運動していれば薬も不要になった、という状態はどうでしょうか。なんだか「治った」感じがしますね。でも、「元通り」ですか?

もともとは、「運動せずのんびりして、好きなものを好きなだけ食べる」体だったわけです。それが今は「毎日ダイエットや運動に気を使って生活」です。「元とは違う状態」ですよね。薬を飲んでいるのと、まあ、あまり変わらないわけです。もちろん、ダイエットや運動は他の病気も防いで健康寿命を延ばしますから、なにもせずに薬を飲み続けるだけ、ってよりは「健康的」といえるとは思います。

慢性病の一つ、例えば「うつ病」なんかはどうでしょうか。精神疾患も、他の臓器と同じようにタンパク質で出来た「脳」という臓器の不具合なんですね。脳梗塞や脳出血などとは違って、見た目の大きな変化というよりは、働きの変化、というのに近いでしょうね。これについても「元通り」はどういう状態かといいますと、「これからうつ病になる状態」ですね。

広い意味での「うつ病」というのは、いろんな原因でなるといわれています。思いあたる原因が無い場合もありまして、これは狭い意味での「うつ病」ですね。広くとらえれば、ストレスや悩みから「うつ病」になる場合もあります。この場合は別の言い方になることもありますが、今回はその話は置いておきましょう。

思いあたる原因が無い場合は「元の状態」は、これからうつ病になる、「うつ病になりやすい人」という状態です。なので、いったん良くなったあとにまた症状が出ないためには、お薬を飲んで治療を続けたり、症状に早めに気づいて行動を調整するなど、「前とは違った生活」が必要になります。これ、スライドではウォーキングしている状態ですね。以前はしていなかったわけです。

思いあたる原因がある場合は、良くなった後にも、その原因を遠ざけ続けるか、あるいは原因となった出来事をうまく消化するスキルを身につけることになりますが、それはやはり「前とは違った生活」場合によっては「工夫が必要な生活」です。これは先程の糖尿病と似た状態といえます。食べるものや運動を意識する必要がある生活と同じことです。

このように、大半の病気の治療では「元通り」を目標にするのは難しい、場合によっては、あえて元通りじゃなくすることで、生命のリスクや重い症状の再発を防ぐ、ということになります。むしろそっちのほうが多いかもしれません。

それでは、「治る」のイメージ、のこりの一つ、「元気になる」はどうでしょう。

わりと、私のイメージはこれに近いですね。
「元気」というのも、まあとても広い意味なんですが。

単に「元気になる」というより、「病気のときより元気になる」でしょうかね。「元気」というのにも、基準は、ありませんよね。なので「元気という状態になる」というより、このグラフでいうところの、こっち……左のほうに、動いていく。これが「元気になる」に近いのかな、と思います。

これを目指すための行為が、「治療」かな、と思うわけです。治療は「リスクをゼロにする」でも「元に戻す」でもないし、そんなことは、できないわけです。

そもそも、放っておいても、人間の体はこのグラフがものすごく沢山、臓器や機能の種類の数だけあって、状態が右にいったり左にいったり、常にウロウロしています。そのうち、かなり右にいってしまったような特定のモノを、ぐいっと、できるだけ左に行くように手助けする、これが「治療」っていうイメージですね。

完全にゼロにしたり「元通り」は、「医療」では難しい。無理といっても過言ではないでしょう。この、「悪い」ポイントに対して、左に動かす力を加えて押し戻す、場合によっては、力を加え続ける、というものの気がします。

まとめ

・人間は皆「健康」ではありません
・診断は、悪い部分の「発見」ではありません
・病気の治療では「元通り」は難しいです

私たちはみな、病気や不具合を「無くしてしまいたい」のはそのとおりですね。それを現代医療が魔法のように消し去ってくれれば……という希望ももちろんあるでしょう。私もそうです。しかし現代の医学の水準は、とてもとてもそこに至ってない、というのが実情です。

ならばできることをしましょう。元気に活動するのにネックになってる部分で、医療で対処可能な部分を治療して、別のことでも自分で対処しながら、さっきのグラフの左側に動かしていって……元気をできる範囲で増進していくのです。

残る不具合があるでしょう。この世に魔法はありません。動ける部分を動かしながら、人生元気に送っていきましょう。

それではこのへんで。大変お疲れ様でした。ありがとうございました。


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