着物を解く

前は布小物中心に作っていたので、使う布の量なんて知れていたんだけど。
しかも、「服作りに手を出したら終わり」とまで公言していたらしいんだけど、覚えてませんけど、多分、止まらなくなるからそう言ってたんだと思います。
知らんがな。って、感じでシレッと服作りにもハマっております。今のところ自分の分だけ。

思ったより上手く出来ると、即次の日に着て行って、仲の良い同僚には縫ったの、縫ったの、見て見てと、3歳児並み(3歳児に失礼かも)見て見て攻撃。
それも飽きたので、シレーッと着て行って、また自分で作ったの?と聞かれると、えへへそうなのとか、完全に自己満足。

そろそろハンドメイド界は秋、冬に向けて動いていて、小物界は早い人はクリスマスものなども考え始める頃。
まだ暑い日もあるのに、ツイードの生地で…なんて私には考えも及びません。だのに、自分で買ったわけではなく、身内に押し付けられた大量のツイードと、シルクウールのような生地が罪庫として眠ってます。
在庫や販売スケジュールを、考えればそろそろ秋冬モノを。そんな時期のはず…。
夏っぽい柄のコースターなんぞ作っている場合ではない。
刺繍モノは凝ったものだと今から手をつけなければならぬ。
刺繍は、楽しいけど、暑いのだ。
段々重くなるし。編み物ほどではないけど。

夏生地も消化せずに今は古い着物を解いてます。
真っ直ぐ縫われているところが多いからさほど難儀ではないし、生地幅が洋モノと違うので細い生地の山が出来る。ただ、ただ、適当に縫い目にハサミを入れて最後に糸を抜き取る。この単純作業が、意外と無になれて良い。そしてほぼ手縫いなので、生地に優しく糸が通っていて、解くのはしのびないけど、何か別のものに生まれ変わっていくのも妄想すると楽しい。
和は意外とモダンだったり。
この途方もなく長い距離を真っ直ぐ均等に縫うためにくけ台など和裁独特の道具があったのだろうなとか、見えないところに生まれきずをかくしていたんだなとか、黒い糸がいつの間にかモスグリーンの糸になってたり。見えないところと見せるところで細かい工夫をしていたのがわかって面白い。
着物を着物として着る機会が減って来たので、ひとつ、一つ大事に使いたいな、と思います。

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