【尾崎の歌がクソ叩きにされる要因】本当にあった尾崎信者伝説

いまさら尾崎……?

※ はじめに
今回の記事は私怨と個人的な嫌悪感に凝り固まっておりますので、タイトルを見てピンと来た方以外はブラウザを閉じた方が安全です。
読後の苦情は一切受け付けませんので、予めご了承ください。


という訳で、つい先日Twitterでこんなニュースを見かけた。

尾崎豊の「盗んだバイクで走り出す」が今さら物議 「歌詞を文字通りにしか読めない人間多過ぎ」という指摘も
https://blogos.com/article/358410/

尾崎豊の歌詞の内容について賛否両論あるという内容なのだが、それは今に始まった事ではなく、尾崎が生きていた頃からすでに好きと嫌いが見事に分かれていたように思う。

だが「強烈なアンチ尾崎」が一定数生まれてしまったのは、尾崎豊の死後であろう。

尾崎が亡くなったのは92年、私が17歳の時だ。本来であれば思春期ど真ん中であり、尾崎の歌に影響を受けてもおかしくない年齢なのだが、残念ながら私は尾崎豊ブームが大嫌いでウザくて仕方がなかった。

それは何故か。

上の元記事にもあるが、「尾崎が」ではなく「尾崎ファンが」大嫌いだったからである。いや、「尾崎ファン」ならまだマシかもしれない。私が嫌いなのはもっと原理主義的な、狂信者的な、「尾崎信者」だった。

これは尾崎の死の直後をリアルタイムで知っている人間にしか通用しないかもしれないが、尾崎の「若者の代弁者・カリスマ」というイメージは、尾崎の疑問の残る死に様を面白がったマスコミが、よりセンセーショナルに仕立て上げるために、過剰過ぎるほど過剰に飾り立てた結果として与えられたものだ。
活動していた当時から若者からの支持は大きかったし、ヒット曲もあったけれども、当時はバンドブームも起きて尾崎以外にも影響力の強いバンドやミュージシャンが星の数ほどいたし、天才も鬼才もガチのキ〇ガイもいくらでも見られた、日本の音楽シーンが最もカオスで面白かった時代だ。
決して、尾崎だけがズバ抜けてどうという存在ではなかった。

そもそも、尾崎の全盛期はデビュー直後の何年間かだけで、それ以降は小さなヒットはあったものの、スランプが続いて麻薬に手を出すほど精神面がズタボロだったと考えるべきだろう。

尾崎信者の大半は死後にマスコミに感化された後乗り

ではどうして尾崎だけがここまで神格化されてしまったのか。
いきなり答えを出すが、単に20代で亡くなったからだ。

後に尾崎信者として大暴れし出す「オレだけが尾崎を知っている」というヤカラは、だいたいが尾崎の死後 ”マスコミの影響を受けて感化された 後ノリのクソダサイ連中” だった。
後で話題に出すが、「尾崎自警団」とでも言うべき過激かつ暴力的なヤカラも、殆どがこの手の後ノリ連中だったのではないかと思われる。

そんな後乗り野郎共が、元からファンだった連中に追いつけ追い越せと過剰な盲信をし始め、尾崎の歌詞や音楽誌などのインタビュー内容を ”絶対不可侵の経典” として行った。
それと並行して、尾崎に興味のない人間に対する ”尾崎教の教義の押し付け” や、尾崎信者同士でも自分がいかに尾崎愛に溢れているか、いかに尾崎を理解しているかというマウント合戦が起き、時としてそれが暴力沙汰になり、尾崎信者=嫌われ者となって行った。こうした過激化した信者への嫌悪感が、尾崎自身への嫌悪感へとスライドされた面が非常に大きいように思う。今に残る尾崎豊のイメージなど、このような後乗り信者のクズ共のせいで形作られて行った物と断言してもいい。

この言葉の悪さでご理解いただけると思うが、私は本当に尾崎信者が嫌いだ。人類がまだ知らない奇病にでもかかって、全員死滅すればいいのにと今でも願っている。

という訳で、こんな私個人の感情だけ投げ付けても意味が無いので、「本当にあった痛すぎる尾崎信者伝説」をお届けし、この無限に沸き起こる負の感情の理由をご説明しようと思う。

尾崎信者に尾崎の話を振っただけなのに創価学会への入信を薦められたでござる……の巻

尾崎が亡くなってから何か月か経った頃、バイトでシフトが一緒になった女性(以下A)と尾崎の話になった。
私は単に世間話のつもりで「また昨日も亡くなった尾崎のニュースやってましたよ、よくネタが尽きないですよね~」と話を振っただけだったのだが、Aは待ってましたとばかりに「自分と尾崎」について語り出す。
その内容は「私がいかに昔から尾崎の歌に助けられていたか」だったのだが、これがもう ”おびょーき” の症状そのものなのである。

何故病気と判断するのかと言うと、そのバイト先は中古のCDを扱っていたのだが、Aは尾崎の死後にそこで何枚か中古の尾崎のアルバムを買っているのだ。これは勘違いではなく、その時にレジを打ったのが私なのだから忘れようもない。本当に「命を助けられた」なんていうレベルの尾崎ファンならば、死後に中古で買う訳がなかろう。

おそらく、Aは尾崎死亡のニュースを繰り返し見ている内に、尾崎の歌を聞いてみたくなったのだろう。
そして数か月が経ち、Aの中で「私は昔からの尾崎ファン」という話になってしまっていたのだ。

それだけならまだいいのだが、彼女は目の前の私と話をしているのに何故か遠くを見るような目で「荒井君は真実の愛って考えた事ある?」と、尾崎信者ならではの貧困なボキャブラリーで愛を説き始めた。
その挙句に「私はね、尾崎は死んでしまったけど、尾崎の代わりに導いてくれるものを見付けたの」と、カバンの中から仏教の解説書のような本を取り出す。

そして始まる仏教トーク。

「大乗仏教と小乗仏教の差ってわかる?」

おい、尾崎はどこ行った?

そう、Aは尾崎信者であるというだけではなく、実は親の代からの創価学会員だった。そもそもはそれほど熱心では無く、たまに親の付き合いで仕方なく学会の集まりに顔を出す程度だったそうだが、尾崎の死後に急に真面目に "信心" する気になったらしい。

私もまだ10代で ”この手のひと” と遭遇した場合にどう対処していいか分からなかったため、適当に「はぁ、はぁ、面白いですねぇ」と相づちを打っていたのだが、それが脈ありと受け取られたようで……。

その後はもうAと顔をあわせる度に「荒井君、今度一緒にコンサート行かない?志村(※板橋区)のホールでやるんだけど。TMネットワークのひとも来るよ」などと、聞きたくもない著名人の信心情報と共に、しつこく勧誘される毎日。

結局、それが辛かったという事もあり、その後すぐにバイトを辞めてしまった。それ以来、Aとは一度も顔をあわせていない。
今も元気に信心しているのだろうか。

尾崎信者とコンビニバイトのシフトが一緒になって3日で辞めたでござる……の巻

この話は昔ブログで書き散らした記憶があるのだが、都営三田線の板橋本町駅のすぐ近く、大和町交差点付近にあった(過去形)コンビニでのお話だ。

そもそも、そのコンビニ自体がとても気持ちの悪い店で、バイト連中はオーナー夫婦の事を「お父さん、お母さん」と呼び、飯休憩の度に仲間が食べる弁当をどれにするかで ”家族会議” が始まるという、思い出しただけでも吐き気が止まらなくなる店だった。
付け加えて言うと、新しいバイトが入ると、まずはそいつの店でのニックネームを決めるところから仕事が始まる。ちなみに私のニックネームは「あっくん(仮)」だそうだ。「パっと浮かばないから、とりあえずあっくんね」と言われたオレの気持ちがお前らに分かってたまるか。

私は最終的には某チェーンのストアマネージャーの資格を取ったくらいコンビニの仕事が好きで、10代の頃から色々な店(セブン、デイリーヤマザキ、サンクス、ampm、地元の小規模チェーン……など)で働いたのだが、こんなに気持ちの悪いコンビニは二つとなかった。

それはそうと、そんなあっくん(仮)が初めて正規シフト(夜勤)に入った日、少し年上の男性バイト(以下B)と一緒になった。
今でも鮮明に覚えているが、その日はあいにくの大雨でとにかくヒマで、納品業者くらいしか入って来ない有り様だった。あまりにもやる事がないのでBと適当な世間話をし始めたのだが、そこで始まる尾崎談義。

「荒井君は、音楽とか聞くの?」

ええ、好きなバンドは色々ありますよ
(訳:オレがどんな音楽を聴こうとお前には関係ないだろ。というか、この間決めた ”あっくん(仮)”はどこへ行った?)

「オレは、音楽はあまり聞かないんだ」

ああ、そうなんすか
(訳:じゃあこの会話ここで終了じゃねえか、何で音楽の話題を振った?)

「オレが聞くのは……尾崎の心の叫び……くらいかな」

あ、尾崎豊、ああ~、いいっすよねえ
(訳:なるほど尾崎の歌は音楽ではなく叫びだと。はいお疲れ様でした。もうお家帰りたいです。お腹と頭が痛いです)

「尾崎ってさ、あれは歌じゃなくて魂……なんだよね。魂そのものをオレ達に投げ付けていた、そんな人だったと思ってる」

なるほど~
(訳:どちらかと言うとジャンキーの妄想を投げ付けてたのでは?)

こんな死ぬほどクソどうでもいい ”尾崎語り” を嫌々聞かされるハメになって1時間ほど経っただろうか、突然Bは「ちょっとゴミ出して来る」と言って、傘もささずに店の外へ飛び出して行った。
そして、そのまま10分……20分……と帰って来ない。流石に30分ほど経った辺りでこれはおかしいと外に出てごみ捨て場を覗いてみたのだが、そこで私は衝撃的な光景を目撃する事になった。

なんと、大雨の中30分も帰って来なかったBは、店の脇のごみ捨て場で両手を大きく広げて顔を上に向け、尾崎のCDジャケットのようなポーズで固まっていたのだ。ちなみにそんなシーンを目撃したオレも固まった。

恐る恐る「Bさん、大丈夫ですか?」と声を掛けると、Bはわざとらしい口調で「あ、見付かっちゃったか……。雨はいいよね。ボクの汚れを全部洗い流してくれる」と真顔で呟いた。
オレはあまりの出来事に驚愕し、それ以降は可能な限りBとの会話から逃げようと知恵を絞った。時間を潰すために、超念入りにトイレ掃除をした事を覚えている。

そして待ちに待った交代の時間、先輩のBがレジ金チェックをしたのだが、どうも何千円か間違っていたようで、オーナーからお小言を頂戴してしまった。

そして次の日もBと同じシフトだったのだが、その日もレジ金が合わないと怒られ、帰宅後に暗に「お前は疑わしいから辞めてくれ」という内容の電話がかかって来た。

店に言われるまでもなく、オレも気持ち悪いし泥棒扱いされて腹が立ったしで辞めるつもりだったのだが、どうしてもハッキリさせたい事があったので「では明後日も遅番に入っているので、それを最後という事にして貰えませんか」とお願いし、何とか1日だけバイトを続けさせて貰う事にした。

すると、その日もBと同じシフトだったのだが、やはりレジ金が合わなかったという。
それを告げられた際に「あんな電話がかかって来て、なお何千円も着服するキ〇ガイなんかいやしないの分かりますよね。じゃあ犯人が誰か分かりますよね」とオーナー夫婦を問いただしたところ「私は家族を疑いたくないの!」と女房の方にブチ切れられ、それでその店でのバイトはおしまいだった。

そうか、あのキ〇ガイ尾崎信者は家族扱いで無罪、日の浅いオレは家族じゃないから有罪なのか。いやあ、あの店が潰れて清々した。

尾崎を ”コロした” のは尾崎信者

お分かりいただけただろうか、私の尾崎信者の思い出なんて万事この調子である。心温まるちょっといい話なんかありゃしない。

後は、知人のスナックに顔を出したついでにカラオケで尾崎を歌ったら、その場にいた見た目5歳くらい年上の兄ちゃんにえらい勢いで絡まれた事があるのだが、その時もそいつが酔いも手伝って尾崎論を語る語る。
「お前が尾崎の歌を唄っても、そこには尾崎の心が入ってない!」だのなんだの。いいじゃねえかカラオケくらい好きに歌えば。

また、私が直接経験したこと以外でも、ライブハウスで尾崎を歌ったミュージシャン(確か30代?)が、尾崎信者に「気安く尾崎を歌うな!」とボコられたなんて事件も起きた。
このように、今の時代も違う場所でよく見られる ”自分の思う〇〇のイメージと違う物” を一切許さず、暴力行為すら辞さない狂ったバカが大勢湧いて出た。それが尾崎の死の直後に起こった ”尾崎ブーム” の成果だ。

不思議なのは、尾崎が生きてた頃は、こんなネジの外れた尾崎信者など殆ど見かけなかったという点である。ここまでトチ狂った連中は、TV報道という情報の暴力によって洗脳され、先鋭化したのではないかと今になって思う。死人に口なしで、尾崎自身はもう言葉を発する事が出来ない訳だから、身勝手なアホが依存するのに丁度良い存在だったのだろう。

また、上の例で薄々気付いたと思うが、尾崎の死後にドハマりしたヤツらは、だいたいが「仮に尾崎信者になっていなかったとしても色々とヤバイだろ?」という人間性に難のある人間ばかりだった。

よって、”尾崎が亡くなった時期に青春時代を過ごしていた元々人格に問題のある人間” が、尾崎豊というカルト宗教に吸着され、狂信的な信者として暴れていた と考えるのが無難な線ではなかろうか。

尾崎豊個人に対しては、私が好きだったミュージシャンや俳優などと親交があったというし、楽曲自体もいいと思える物があるし、同情こそすれ特に負の感情は持っていないのだが、とにかく出会った尾崎信者がことごとく気色悪すぎた。

よって、今では尾崎豊と聞くと、まず最初に尾崎信者達のキモさが頭に浮かんでしまい、嫌悪感に支配されてしまう。
世に尾崎叩き、尾崎アンチが目立ったとして、その要因の大半は、このような ”尾崎信者への嫌悪感” ではなかろうか。

尾崎はファンが望むような曲が作れない事で気を病み、麻薬に手を出したなんて説もあるが、私は質の悪過ぎるファン達が、尾崎豊という表現者の命も名前も殺してしまったという寓話だと思っている。


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