「川崎通り魔事件」 ”無敵のひと” を乱用すべきでない理由 #2

「川崎通り魔事件」 ”無敵のひと” を乱用すべきでない理由
#1  https://note.mu/oharan/n/n6fdfea7865ee
#2 https://note.mu/oharan/n/n98a30d9a498d


前回に引き続き、今回も「無敵のひとという単語を乱用すべきではない理由」について所見を述べる。

前回の記事の最後に「もはや一昔前の概念である ”無敵のひと” は珍しい存在ではない」「無敵のひと=テロリストというイメージを植え付けていいのか」と書いたが、今回はそれについての補足になる。

”無敵のひと” と ”引き籠り・ニート” を結びつける危険性

マスコミの報道ではさすがに ”無敵のひと” なんて言い回しは滅多に使われないが、代わりに ”無職・引き籠り” や ”TVゲーム” といった単語はしきりに使われており、ある種の印象操作を感じる。

これとネットで使われる無敵のひとという単語を組み合わせると、このような公式が成り立つと思う。

【無職・引き籠り=オタク=無敵のひと=犯罪者予備軍】

「いい歳をして働かず、親のスネをかじり、部屋にこもってネットやゲームだけして過ごしている年齢=童貞の失う物のないオタク野郎」
それが ”無敵のひと” というレッテルを貼られた人間のイメージではないだろうか。

まあ童貞やオタクなんて情報を加えるかどうかはひとそれぞれかもしれないが、一昔前の「引き籠りニート」のイメージと、今現在の「無敵のひと」のイメージは、限りなく近いものではないかと思う。

だが、引き籠りの問題と無敵のひと問題はだいぶ話が違い、引き籠りと一口に言っても、そうなってしまった理由は様々である。
ブラック企業勤めで心身共にズタボロになってしまい、どうにも出来ずに会社を辞めて療養しているというケースもあるだろう。
もしくは仮想通貨やFXなどで儲け、それで食えているから一日中部屋にいるなんてヤツもいるだろう。
または酷いイジメやレイプなど、色々なトラウマを抱えていて他人がいる場に出られないなんて人間もいるはずだ。

それら全てを ”引き籠り” の一言で同列に扱うのは無理がある。
したがって、それらと (主に)貧困や孤独に起因している ”無敵のひと” とを結びつけて語るのも大間違いだと言うよりない。
ましてや乱暴に犯罪者予備軍としてしまうなど、国家規模の自殺行為だ。

結局のところ、この手の単語は誕生から日が浅く、コレという定義付けが浸透している訳ではない。
だから使い人ごとに少しずつ意味が違ってしまい、一体何をどう指す単語なのかが分からなくなっているのだ。

さらに言うと、”引き籠り” にしても ”無敵のひと” にしても、良い意味で使われる事など殆どない。この言葉を発した時には、必ずと言っていいほど相手に対して負の感情を抱いているはず。早い話が蔑称である。
そういう言葉なのだから、使う側の感情優先になってしまい、まともな使われ方をしなくなるのは当然である。
そんな言葉に右往左往すべきではないのだ。

もしも川崎の通り魔事件のような不幸を繰り返したくないというならば、 「そうなってしまった要因」 を探し出し、治療するなり根絶するなりといった対処が必要となる。
ところが、言葉の意味のいい加減さに振り回され、見当違いの部分ばかり見ていたら、肝心の病巣が見付けられず、適切な対処もできず、いつまで経っても問題は解決しない。

安直に引き籠りだの無敵のひとだのと属性化して、それを適当に結び付けるのは、社会にとってマイナスの効果しか与えないと考えるべきである。
これが ”無敵のひと” という単語を安易に使うべきではない最大の理由だ。

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