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生い立ち⑥-3

天体望遠鏡で土星や火星を見る事が心の差支えだった甥っ子へ。その望遠鏡を、医者になるのに必要ではないと、実の母親に叩き壊され、傷がふさがらない甥っ子へ。それでも頑張るあなたへ。何の役にも立たないかもしれないけど、私の体験を書きのこしておきます。私は命ある間もつきても、ずっとあなたと、娘になってくれたあなたの妹の味方です。

ピアノを勝手に習いに行った事がばれているとは知らず、帰宅後2階へいくと、カリカリカリカリ。ガサガサガガサ。という音がする。ふと見ると、天板があいてるピアノが。リスが内部を、塗装がされていない裏側の木をかじって、ボロボロにしていたのです。

数日前に突然、母がリスを10匹購入してきました。これをやる為だったの?と、膝が震えました。それをなんとか奮い立たせ、リスを全部捕獲し、ピアノを鳴らしてみると、歪んでたるんだ音。私は吐き気と眩暈と鈍痛がし、トイレへ駆け込みました。

目を覚ますと病院でした。脱水と胃痙攣で倒れていたのを、母と弟がタクシーでつれてきたそうです。看護士さんの、お母さん涙を流してとても心配していらっしゃいましたよの一言で、胃液がこみあげ吐きました。

この日以来、ピアノに近づくと眩暈と吐き気がするようになりました。他のピアノは大丈夫なのに、あんなに誇りに思ってお気に入りだった自分のピアノだけ、近づくことが出来ません。毎日練習してたのに。

頑張ろう、頑張りたい、頑張らなきゃって思えば思うほど、ぽっきり折れた自分の心が浮き彫りになり、足も心もすくむのでした。

一方でこういう気持ちもありました。今回ばかりは、母も悪かったと謝ってくれるのではないか。ピアノの事もちゃんと伝えれば習わせてくれるかもしれない。勉強だって乗り気ではないが、やってはいる。流石に私がつらい思いをしたのは通じてるはず。だから何か1つは認められるのでは?と。

勇気を出して、ピアノの事なのだけどと母に話しかけました。

悲劇のヒロイン気取りか。いっとくけど、嫌われればこういう目にあって当然だ。嫌われるお前が悪い。100人いたら100人お前を嫌う、不愉快って事だ。わかったら、勉強だけしてろ。才能もないくせにいきがるな。

話しきることなく、浴びせられた母からの第一声でした。

じゃあお前の才能はなんだ。たいした学歴もないやないか。って思いましたが、私は、黙って自分の部屋に帰りました。この日から母と、避けられない事以外で、口をきくのを辞めました。

この手の暴言は、初めてじゃありません。都度、跳ねのけてきたつもりでいました。でも実際は聞こえないふり、傷ついてないふりをしていただけだったのだなと思います。母を、今後の自分の人生とは無縁だと思うほど割り切らない限り、彼女の言葉に縛られてしまうだけ。

どれだけ泣いても、大好きな星空を見上げても、頑張ろうって思っても、心が前を向きませんでした。傷口から、やる気や自信、希望や夢が垂れ流れていくのを、身動きも出来ず傍観している自分がいました。

父と弟は、母がやった事を見て見ぬふりをしました。学校でなんかあった?話すまで待つ。と父から言われたとき、頼むから問題なのは家庭内だなんて言わないでくれ。対処なんてしたくないんだ。仕事だって忙しい。お前の味方をすると母さんがヒステリーを起こして面倒なんだって言われた様に感じました。

マタオに相談する事も考えました。話せばしっかり聞いてくれる事も、味方してくれる事もわかっていました。わかった事で少し癒されたのと、私の問題で、彼に再び面倒をかける事にやるせなさがあったのと、私が自身の気持ちと向き合う事から逃げたかったのとで、結局話しませんでした。

何事もなかったかのように振る舞う事で、誰にも話せない事になったからでしょうか。木くずが散らばったピアノが、胸に張り付いたかのよう、いつも記憶にありました。感情を隠すと言う事は、実際は意識のすぐ下に隠した存在を感じ続ける事でもあるように思います。悲しい記憶が容易に風化しないのは、こういう事が原因なのかもしれません。

父も母も進学校に行った私に、進学は義務だと求めました。家から通える国立で文系、バイトや部活は禁止。将来は公務員か銀行員。これがお前がとるべき進路と。ピアノは人生に必要ない。昔、ピアノの先生から才能があるって言われたけど、そんなのお世辞だ。もう高校生なんだからわかりなさいと。

あぁ、私の親は普通に子供を騙すし、私には守らせた約束も、自分たちは当然のように破る。子に自分の希望通りの選択をさせる権利があると思ってるんだって思いました。

私は、点数をとるためだけの勉強を再び始めました。親に注意されたり話しかけられたりしたくなかったからです。乾いた心で勉強だけしてた私を、両親は良く頑張っている評価し、弟に見習えって言っていました。それを聞いて、私の心はますます乾くかのようでした。

大学は、実家から通えない国立を第一志望、第二志望はその隣県の国立にしました。家から出る事だけが目的でした。将来をちゃんと考えるには、心が疲弊しすぎていましたし、ここ(実家)から離れないと、何も出来ないと思っていました。

子供だって親をだまします。両親は、他県の国立に学びたい事があるという私の嘘を、しぶしぶではありましたが、認めました。第一志望としていた国立が、実家から通えるとこより偏差値が高いから認めてくれたのでしょう。そんなわけで、そこはざくっと落ちまして(笑)第二志望としてた方へ、進学しました。

何もない1人暮らしの部屋で、私は、心から安堵し、安堵を覚えてしまう事が無性にさみしくて、ポロポロ涙しました。ふいてもふいても出てくるので、あおむけになってタオルをかぶせていたら、知らない間に寝ていたみたいで、入学式が終わっていました(笑)

輝く表情の同級生の中にいる自分を、みじめに思いました。みんな親から大事にされてそうだけど、自分は違うという劣等感。そういった感情に押しつぶされそうになりながら、たくさんもがきました。でも、最終的には、ちゃんと頑張ろうと、考えられるようになりました。つらい時は、マタオの顔と大好きなピアノ曲を思い浮かべました。幼い私の心身を守ってくれた信頼できるたった一人の大人。私にとってマタオはそうゆう人でした。

精神科医でもあったマタオと全く同じように、幼い兄弟の心を同じレベルでケアする事は出来ないとは思ってます。でも、同じ思いで接っする事は出来るのではないかと思っています。

世間や、実の母親、あちらの親族が何を言ってこようが、毒親である母親から幼い兄妹を引き離し、手元で守りたい。本人たちがうちの子になる事を望んでくれる限り、私にマタオがいてくれたように、砦になって、一歩も引く事なく守り抜きたい。

彼らが自分の人生を生きていく中で、次に戦わなくてはいけない必要が出てきたとき、自分で打ち勝って戦っていけるように、今は逃げ場を作ってあげたい。

それが今、私が持病を乗り越えて長生きしたいと思っている1理由です。でも、100%可能ではないので、ここに遺書として書いています。

とってつけたようですが、今の母は穏やかで思慮深く、尊敬できる部分がたくさんあります。彼女は彼女で闇に囚われていたのだと思います。お互い苦しんだ分、今、分かり合えることも増えてきて、たくさん歩み寄れるような関係になれました。

私と母の関係もまだ改善の余地があるので、母にも長生きしてもらいたいと思っています。