見出し画像

生い立ち③-1

※本文とは関係ない飼い猫の写真を扉絵にしています。かわいいからね!

父方の祖父の末弟、精神科医のマタオと暮らすようになったきっかけと、失声症の事、当時の気持ちを言葉にしてみたいと思います。

3歳か4歳くらいの頃、傘が錆びて開くことが出来ず、母の傘にいれてもらった事がありました。手をつないでもらった事が嬉しく、はしゃいでいたように思います。

家につくと、母は私に手を上げ、時間を奪った事を謝るように言いました。ところが、謝ろうとしても、声が出ません。以前にも声が出にくくなって、しばらくして出る様になった事がありました。母は私がまたわざと自分を困らせる為にやったと判断し、ますます怒り、私は家から追い出されました。帰宅した父が私を見つけ、マタオの病院につれてってくれました。こうして、進学して1人暮らしをするようになるまで、2人で暮らしたり、実家と彼の家を行き来したりする生活がスタートしました。

失声症とは、文字通り声を失うわけですが、頭の中には言葉が溢れています。それを声にする事が出来ない症状の事をそういいます。まったく口がきけない期間と、どもりながらなら、口がきける期間をたして、完治するまで5年ちょっとかかりました。年齢にすると4歳から10歳になる少し手前くらいまでです。

声が出ないのは動かせない事実なのに、本当は話せるんでしょ?って考える人は、たくさんいて、事ある毎に話せって言われるんですね(笑)その人達にとっては、私がしゃべれないふりをしているという事が、唯一無二の真実なので、必然と風当たりが強くなります。本当の事をいくら必死で書いて見せても、嘘つくなと言われる。大きな決意をもって、担任の先生にその事を手紙にして渡すと、嘘ばっかついてきたあなたが悪いよ。ちゃんと反省しなさい。こういうのを、自業自得っていいます。という返事が返ってきました。

真実は1個しかないのに、人の数だけ真実や正義っぽいものが存在し、それを否定すると本当の事なのに、嘘つきにされ、上回る勢いで自分が否定される。そうゆう事に子供ながら疲れ切って来たある日、学校では嘘ついて、おかんと仲良くなった事にしてこい。声が出ないんじゃなくて、声を出すのが怖いって事にしてこい。先生にそう言ってみろ。これは嘘から本当を作るゲームや。失敗したら引っ越して転校するからかましてこいと、マタオは言いました。その通りにすると嘘なのにすんなり事実として認められ、担任も意地悪だったクラスメイトも急に優しくなりました。

それをマタオに伝えると、それが気持ち悪かったら学校に行かんでええよ。今までの事を水に流して、楽しめそうだったらでいいよ。学校に行くのは。と、言いました。

私は後者を選び、残りの小学校生活はとても楽しいものになりました。