見出し画像

生い立ち③-2

おかんと仲良くなった事にする。声が出ないのではなく、出すのが怖いという事にする。マタオがどうしてそんな提案をしたか、朧気ながらにわかってるつもりでいます。母と仲良くやれていると言った事で、蔑む目で見られなくなった事。子供でもはっきりとわかりました。

母は、世間的にはまじめな優しい人で、弟には献身的に尽くします。弟の友達にも。だから、あんなに優しいお母さんが一緒にいられない程あの子は悪い。というフィルターを通してしか、私は見てもらえなかったのでしょう。本当の事を訴えても、そのフィルターは外れず、母とのさらなる軋轢を生み、時間をかければ、その間にこの子の心は死ぬ。新しい環境で0から人間関係を作るより、既存の人間関係がパーッと開けた方が効果が高い。

マタオはそう考えたんだと思います。

問題児というフィルターを外し、恐怖と立ち向かい、しゃべる努力をしてる子というフィルターを、彼は私にかぶせた。

かくして、劇的に失声症が改善しだし、小3の頃には落ち着けば、だいぶ話せるようになり、高学年の頃には違和感なく話が出来るようになっていきました。

周りと上手に遊べるようになっていき、私の方も変化がありました。

それまでの自分は、どうやったら弟みたいに可愛がってもらえる?という事をだけを四六時中考えていました。それが、少しずつ他の事にも関心が向いていくようになったんですね。母の評価がすべてという価値観から、少し別の視点を持てるようになった。この事は、自分にとってだけでなく、母にとってもいい事だったと思います。

とはいえ、呪縛の力はすさまじく、社会人になってからも、母に泣いて訴えられると弱く、理不尽でおかしいと思っても、従ってしまう事は何度もありました。でも、今はもうありません。不思議な事に、しっかりと拒絶出来る様になってから、母との関係性も快方に向かう様になりました。この事はまた、機会があれば文字にしてみたいと思ってます。

愛して見守ってくれてありがとうと伝えたいマタオは、もうこの世にはいません。老後の面倒を見ると思って介護の仕事をしたのに、そのスキルを1度も発揮することなく、彼は心不全で突然旅立っていきました。大好きなハワイのビーチが見えるテラスでお酒を飲んで眠り、そのまま穏やかに眠るように。

彼の死後、子供を育てるようになって、彼が四六時中私の事を考えて、深い愛情をかけてくれていた事がわかりました。

私は本当に愚か者です。

私が今、自分の心と行動が一致して生きていられるのは、あなたのお陰です。私が幸せなのは、私が頑張れるのは、あなたと過ごした日々があったから。