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「可愛い」は自分への呪い

「私は可愛い」

朝。

基本のベージュベースに秋色、
服の形はオーバーめで末広がり、
アクセサリーは金色。

自分に似合うものを身に付け、
「可愛い」を装備する。

そして、自分にとって「自分は可愛い」と言い聞かせる。

それが今の人と会うときの習慣だ。

自分のことを本当に世界的に見て誰の目にも可愛いとは思っていない。

でもそう言い聞かせるのは「目線」に打ち勝つため。



私はずっと共学の学校だった。

後から分かったことだが、共学では「男性の目線」が入る。
物理的なものではなく、薄く、深く、浸透された目線。
それが一番くるのが、女子へのランクや値札づけ。
このグループが一番人気、あの子がクラスで一番可愛い。
口に出さなくても、空気として感じる自分のランク。


他人から付けられた値段
ーその値段から外れないように踏み越えないように傲らないように

私はそう過ごすことが、目線の蓄積のうちに身に付いた。


大学で女子校に行っていた女の子たちが、
「女子校では男女が無いから、『人間として』の私になった」と話していたことから目線のことを考えた。

同時に人間として育ってきた彼女たちが羨ましかった。

そこには女の子としての値札もランクも無いんだろう。
ただ一緒に人間として笑えた時代が私にもあったのかもと、無い物ねだりをした。


大学に入っても
そうでない人もいたけど
対等な扱いをされることは少なかった。

他人から欲しいものをもらうことを諦めようと思った。

思えば、私は「可愛い」って他人から言ってもらえたことが無かった。
(学校ではむしろ陰口言われてたし、
親には褒められたことないし、見た目を気にかけてたらグチグチ言われた)

だから、
誰も言ってくれないならもう自分が自分に言ってあげるしかないって思い直すことにした。


自分が可愛いと思える見た目のために頑張ったり、
自分しかいないから自分で自分に言って励ましたりしてます。

それはそれは、めちゃめちゃ頑張った。

メイクも服も似合うものを選び、
世間的な綺麗な服に袖を通して大学に行った。

他人からの対応がまるで違うのだ。
怖いくらいに、対等に親切に接する。


あぁ、これが普通の世界かと理解した。
ビクビクしなくていい世界。


私は自分の中身に自信が無い。
自分を見せる対人が怖くて仕方ない。

でも
努力して見た目だけでもキレイにしていったら、
今までは空気だったのに
人として扱われるようになった。

その感覚が忘れられなくて、
今でもメイクや服を整えないと外に出れない。
(私を「人として」見ている人には、そうゆうことを考えたりしないから、割りとラフで行くが)

対人を乗り越えるための励ましとして、
「自分は可愛いよ大丈夫だよ」って思える見た目を装備して、鎧を着て頑張っている。

これは私の武器、鎧なんだ。

いつか中身に自信を持てたら、
鎧を身に付けなくても
身を軽くしても外に出れるようになるのだろうか。

今はまだ見た目に頓着しないでいれる人が羨ましいなと思うだけ。


でも
自分をせめて見た目だけでも肯定できるように、
表現できるようにしてきた努力は嘘をつかないと思いたい。

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