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特別な日をジャンプ台にして


『私は』しちゃいけない

美味しいものを食べる、出掛ける、好きな物を買う、おしゃれをする、、
「自分のためにする何か」

私は20になるくらいまで、
そうゆうの全部「あなたはしちゃダメよ」って言われてる感覚があって、出来なかった。

大丈夫なのは、
勉強とか学校関連のことと
他人のためにすること。
それ以外はおなざりにしていたら、自分の気持ちが分からなくなったところで思った。

「自分が自分で分からない、これはヤバい」

そこから私は、「自分のためにしたいこと」をオッケー出すことにしていった。

そして徐々に、私には選んでしたいことをする権利がないような感覚が、居なくなってきた。

でもまだある条件で、そいつは顔を出してくる。
こんにちは、さようなら、あらまたこんにちは。

それは「自分のために『誰か』と何かしたい」が出た時。
自分一人で出来ることは、
今までダメってしてきた分を取り返すように、
自分に「いいよ、してみようよ」って言ってる言えてるんだ。

でも、
『誰か』が入って欲しいとき、
私じゃあダメというのが大きな壁のように立ちふさぐ。

迷惑だよ、ダメだよ
出来ない、無理だよ

全部接頭語に「私なんか」が入るような

それを乗り越えれるかもと思ったのが、
『最後の誕生日』

私は、1度離れたら、もう多分、一生その人と会うことがないと思っている。

私からは言えない誘えない、連絡取れない、ダメだって思っている。
多分誘われないし(そこまでひとりひとりに何も出来てないし、私は人といると人目を気にして、緊張してばっかで一緒にいて楽しいになれなかったと思う)。

だから、いつも人と合う時は「その日で最後」って気持ち。
その「最後」までに、いい感じに居てくれた『誕生日』。

誕生日って特別な日でしょ?

ずっと祝ってなんて言えなかったけど、
今年は、「特別な日をジャンプ台にして、わがまま言ってもいいかな」と思ったんだ。

だから、「誕生日だから」を頭につけて、『誰か』と一緒にしたいことお願いしてもようかな。

お願いしたいなぁ。


PS.
理想はね、
自分のしたいを大切にしながら、
他人も大事にしたいんだ。

やり方がわからないから、自分のしたいをしまいこむ。

どっちも大事にしたいな、難しいや。


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