「勝ち負け」と「分裂」の話

私はかなり"勝ち負け"が頭から離れないタイプなんだけども、それは日常の生活とか、会話とか、そういう所謂「勝ち負けじゃないよ」と言われる範囲。

これについて「それは勝ち負けというものを理解してなくないですか」と反論されたので、それに反論する。

私(のような人間?)は、さっき挙げたような会話であったり、議論であったり、ウーン、私の場合は特にコミュニケーション上が多いけど、そういう場において"勝ち負け"という概念がある。

これはスポーツの「勝ち負け」と似て非なる感覚で、
相手を負けさせた・このやりとりを制した・優越感 のような感覚において非常に似ている。
一方、
誰から見ても明らかな客観的基準が無い点において、明らかに異なる。

しかしその場の感覚として"勝ち負け"という概念がしっくりくる。確信にも近い感覚。
これはそういう感覚なのだ、としか言いようがない。

ワタクシ、一生懸命調べました。
これは「分裂(スプリット)」に由来しているのではないか、と。

この「分裂」というのは別名「全か無か思考」とも言われる、いわば二極的な思考のことであります。
これをコミュニケーションの場に反映させているのでは。(無意識のうちに)
その場で即座に相手に対して二極的な評価を下し続ける…つまり、具体的に言ってみれば、優か劣か、善か悪か、といったような…

つまり我々の信じるところであった「勝ち負け」とは似て非なる"勝ち負け"の正体…それは「分裂」であったのではないか、という仮説。
…プロじゃないので正しいかは知りません。

しかし一方で「人生勝ち負けじゃないよ」といった啓発がありふれているのも事実。
これはつまり、「勝ち負け」が本来存在しないはずの人生というものに対してその言葉を採用する人々が一定数居るということ。
私の確信もやはり間違いではないのです

スプリット思考は本当に生きにくいし、この世で理解できないことが多すぎる… 
https://note.mu/ohasi/n/nda0fed54430c
↑複雑な感情が理解できない話。もわたしが分裂を持ってる話でした

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