この世の真理じゃん

そう。この世の真理を物心ついた頃から授かった人種がワタクシ。

いえいえ、宗教の話ではございません。ご安心を。勧誘でも、聖書の話でも、神の話でも、奇跡の話でもありません。

つまりこの世の真理というのはですね。コミュニケーションの限界というものです。
人は生まれながらにして孤独であり、生きている間も、死ぬ時まで連続して絶対的に孤独である。
そういう話です。今日は。

たとえば。
哲学の問題で色彩語彙の問題が取り上げられることがありますね。
「ある人が『このりんごは赤い』と言う。しかしその人が見ている"赤いりんご"と、私が見る"(赤い)りんご"の色は、本当に同じだろうか。」
日本でもかつては、blue青 と green緑 は同じ「青」と呼ばれていたのは有名な話ですかね?

これは極端な例でしたが、さらに逆の極端を言えばこんなことも言えるわけです。
「人の言葉は、理解できない。」
つまり人の考えていることなんてその何倍も分かりっこない、と。

詩を書いているとよーくわかります。特に概念的なものを指す単語は顕著ですが、イメージの食い違いをひしひしと感じます。
それが日常生活の、目に見えないレベルで常に起こり続けているのです。
そう。今この話もね。

この言語の限界、私は真理だと思っています。
まぁ、そう思わざるを得ないような脳の構造、精神構造をしているというか。

この考え方には当たり前に孤独感、虚無感がセットです。だって理解できないんだもの。どれだけ仲良くなろうとも、ずーっと深いミゾが足元にあるようなイメージが付き纏います。

でもこれ、論破できなくないですか?
日常生活にわかりやすく破綻が出ない程度の理解ができているのは当たり前なんですよ。それが言語の役目だから。
でもそこを超えたところ、ただの情報伝達を超えたコミュニケーション。そこに、我々人間が辿り着けることはないんだと。
ね?

真理でしょ?

我々こそが神に選ばれた真理の観測者。
…なんちってね

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