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好きなものほど歌えない

私、カラオケが苦手で。

中学生の頃、Coccoの音楽と出会った。今の自分にも、多大な影響を与えていると思う。
暗くて重いバンドサウンドが好きになったのも、彼女の焼け野が原がキッカケだった。
Coccoの、細くて折れそうな体からは考えられない命の叫びのような歌声が大好きだった。

高校生になって、それなりに人付き合いをし、カラオケに行くような友人もいた。
友人たちが流行りのアイドルとかバンドの曲を歌う中、私は何を歌えばいいかわからず好きなCoccoの曲を歌っていた。

「何それ、変なのwww」

周りの引き気味な態度に、私は凍った。
私が音痴とかではなく、好きな曲そのもの(つまりCocco)を否定された気分になった。
それ以来、人前で本当に好きな曲を歌わなくなった。

以後、私はカラオケに誘われたらどうしていたのか。
その時流行っているものを無難に歌ったり、きっつい萌えアニソンを選曲してネタに走ったりしていた(これもまた引かれるが)
一応、笑顔でいるが、正直楽しくはなかった。
別に流行りの音楽が悪いとかそういったことではなく、自分の価値観を否定されることの恐怖に怯えていたし、好きなものを好きとハッキリ言えない自分の弱さが嫌いだった。

大人に近づくにつれて、私は何が好きか嫌いか、あまり語ることをしなくなった。
無難な返答を勉強し、万人に受けるベターな回答を追い求めていた。大多数に近付こうと必死だった。
私はわたしを辞めたかった。

そんなとき、私はインターネットの世界にのめり込んでいた。
SNSでCoccoのコミュニティに入ったら、私と同じように精神を病んだ人から

「Coccoから元気をもらった」「励まされた」「感動した]

といった肯定的な意見がたくさん書かれていた。
素直に嬉しかった。同時に、「好きなことを好きと言える場所がある」という安心感を得た(もちろん批判的な意見もあって心苦しくなったりもするんだが)
以降、私はインターネットの世界に入り浸るようになった。
「無理をしなくてもいい自分」を大前提で、ネット上で日記を書いたりつぶやくようになった。

「匿名の世界で人を不快にしない程度に、好きなことを話す」

これが今の私(おはようさぎ)の起源になっていると思う。

今ではカラオケに誘ってくれるような友人など皆無なのだが、将来カラオケに行く機会があれば、またCoccoを歌ってみようかなと思えるぐらい現在は元気になったと思う。
Coccoに負けないぐらい、大きな声で歌いたい。

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