路傍の石はダイヤモンドになれない

石ころは磨いても所詮石ころ。

有名な詩人が「みんなちがっていい」みたいな事を言うが、それはダイヤのように輝く個性ではないのか、とヒネた私は思う。
輝く個性、それは「他人が羨む」個性ではないかと私は推測する。

みんなちがっていいのなら、私だっていいはずではないか。

でも私の個性は万人に受け入れらたことがない。

他人と会話ができない、人の嫌な部分ばかり目に付く、自分が被害者だとヒロインぶる。
本に集中しているフリをして目線をそらし、極めつけは手首にガーゼ。

クラスの中心で輝く人を羨むだけの日々。
みんなちがっていい、何てものは大嘘で、本当は多くの人から求められる人格にならなければいけない。
雑草は邪魔、でも百合の花は何十本もいらない、多く必要なのはタンポポのような野草なのだと。

「いつか自分を変えなければ」と思い始めた。
実現できたのは、20歳頃だった。

20歳頃から、それ相応に人様と雑談ができるようになり、愛想や大げさなリアクションを身に付けるようになった。
思い起こせば、私が狂い始めたのはその頃だった。

タンポポのフリをした雑草。
私はその他大勢にもなれなかったのだ。

何もかも失った今は、もうその他大勢になることすら興味も無くなった。
私はもう他人の望む姿を辞めることにした。

私は雑草から毒草になった。
自分を苦しめる存在を、逆に苦しめる側になって傷つけたい。
毒草になって、輝かない石を見つめて自分を慰める日々を送りたい。

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