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毎日note 気付けば3年目

去る8/14に、毎日noteを書き始めてからまる2年が経過していた。つまり現在は3年目に突入しているのである。

コロナ禍に妻の田舎に匿われていた頃に何となく日課を設定するために始め、生活のリズムこそ大きく異なるものの何とか現在まで続いている。

そもそも何で書き始めたか

当初はプレイしていたゲームのことだけを書くつもりでいたが、現在は単なる日記に近くなってきた。更に言えば「つぶやき」で済ませることも多く、これを継続していると言って良いのかどうかわからない。しかし私が勝手にやっていることなので、そのあたりのことも私が勝手に決めて良かろう。

毎日noteを書き続けることに大きな意味を見出しているわけではないし、これで何かが変わるとも思えない。では何故続けるのか。

毎日noteを書き続ける理由

理由は大きく分けて3つくらいある。

最初に決めたから

一見するとしょうもなく感じられることだが、「決められたことを当たり前にやる」というのが当たり前にできない人生を過ごしてきた人間にとって、これは大きな課題なのだ。

立派な目標ではなくとも、自らに課した「当たり前」を全うする謂わば訓練なのである。

日常を漫然と暮らさないため

これは少し大袈裟だし、果たして達成できているのかと冷静に考えるとかなり怪しい。

それでも、日々「今日は何を書こうか」と考えていれば退屈な日の中にも何かを見出そう、或いは何かを変えてみようと努力する。

直接的な作用ではないものの、これはこれで事実なのだ。

辞める勇気がないから

結局のところ、これが一番大きな理由かも知れない。

後ろ向きな要素に思われるかも知れないけれど、これはある意味当初の狙い通りなのだ。どういうことかと言うと、長く続けていれば習慣になり、そして習慣になれば簡単には変えられなくなるものだということだ。この状態まで持ってこられるかどうかは気力次第だったが、少なくともここまでは続いた。

今ここで辞めてしまったら…取り敢えず今は、そう思えるだけで充分だ。

今後の展望

特にない。

これまで通り、誰かの暇つぶしにでもなれば良いなくらいの気持ちで臨むつもり。大して中身のある文章を書いているわけでもないし、何かを研究しているわけでも生み出しているわけでもない。特に反響があるわけでも多くの人の目に触れているわけでもないので、殆ど意味のないことにも思える。

後々自分自身で振り返る予定も特にないけれど、もしかしたら「あの頃は良かった」なんて思いながら読み返すハメに遭う可能性も考えられる。そんな時のために、平穏な日常を記録しておくことには意味があるかも知れない。無事に過ごせている日々の暮らしこそがきっと何よりの幸福なのだろうから。

2年間続けてみて

結局のところ意味なんて後で自分自身が見出せば良いのだから、そもそも現時点で考える必要なんて無い。という身も蓋もない結論。

でも中身はともかくとして、毎日文章を考えるというのは案外悪いものじゃない。

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