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生産体質になるために

どうも最近は、生産するということに妙な重さを感じている。

note書くにも漫画描くにも、何も思いつかないし、イラストを描こうにも何も描きたいものがない。

一時は描きたいものはいくらでも目についていたし、日ごろからアンテナもしっかり作られていたと思う。

けれど、最近は何も頭に入ってこない。
何かを考えようという気持ちもない。

そうなってしまうと、生産するきっかけが現れない。

ただ仕事をして、休みはダラダラするだけで、
自分に何も取り込まず、外に出そうともしない。

こんなことしていたら、次に何か進むこともないだろうが、
そもそも次に進めたいものがあるわけでもないから、すぐに行動力は地に落ちる。

「やばい」と思った。

こんなことをしていたら、一生何もせずに終わってしまうし、楽しめることもないだろう。

ただ、仕事をしなくてよい瞬間だけが、自分を楽にするもので、
仕事を続ける限り、生きていて楽しいとも感じられない。

これじゃあ、きっとこの先もやっていけるとは思えない。


「とりあえず生産しよう」

これは、今後の自分の合言葉。

休日となると、ついついどこかに遊びに行くこととか、食べに行くこととか、

すでに作られたもので時間を過ごすことを考えてしまう。

別にどこかに出かけることをしなくても、
今時ネットさえ繋がっていれば、ゲームに、動画に、様々なコンテンツがあるし、

テレビを観ていれば、あっという間に時間が経ってしまう。

コンテンツの数は日々増え続けていて、しかも昔のものにも簡単にアクセスできる。

Youtubeなんか見ていると、

「これ10年も前の動画なのか」と驚くこともしばしばある。

それは動画配信サイトも同じこと。

消化しようと思ったって、一生かかっても終わらない。

楽しみが一生かかっても無くならないというのは、楽しいことではある。

とはいえ、消化だけして、一生が終わってしまうというのは味気ない。

せっかく、色々なことを経験したり、得たりするのに、
それを何か違う形で生産しないのは何かもったいない気もする。

誰かに話すだけでもいいし、自分のノートに書き記すだけでもいい。

どんなに簡単な形だとしても、外に出しておくだけで、
いつか何かの役に立つかもしれない。

もし、誰にも話さず、文字にもせずに、自分の中にひっそりと隠しておいたら、それがきっかけに何かが始まるということもない。

逆に生産することに慣れれば慣れるほど、何でも外に出していけるような気持ちになる。

そして、外に出した分だけきっかけも増えていくように思える。

けれど、しまいこめばしまいこむほど、外に出すのも大変になってしまう。

隠し込んでしまった自分の気持ちは、簡単に外に出せるようなものじゃない。

たった一言だとしても、外に出す経験を積んでいけば、いずれ二言三言と増えていく。

そして、その後はもっと伝えやすい文章にしようとか、伝え方を変えてみようとか、色々工夫しようという気持ちも湧いてくる。

一度生産できる体質になれば、生産のハードルはぐっと下がる。

休日に、ただどこかに遊びに行ったり、食べたりするだけでも、自分の生産に変えることもできる。

とりあえず1歩始めるところからでいい。

今回で言えば、このnoteを書くこと。

生産することで、自分を少し前に進める。

それをきっかけに、また新しい何かが始まる。

つくづく思う。

大人になると、自分から始めないと何も始まらない。

きっかけは生産することから作っていこう。


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