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【仏教】驚愕の事実が次々と明らかに「親鸞展」京都国立博物館

ゴールデンウィークの真っ只中の5月1日、京都国立博物館の「親鸞聖人生誕850年特別展」に行ったら、「月曜:休館日」の看板に打ちのめされた終活プロデューサーの池原充子です。(確認してから行け!ってことですね😅)

懲りずに再び京都の地を訪れ、やっと見ることができました。親鸞とは、言わずと知れた浄土真宗の開祖、親鸞聖人のことで、生誕850年を記念して、直筆の著書や名宝が展示されていました。

唯一無二親鸞自筆の根本聖典 国宝教行信証(坂東本)(展示構成第5章)

有料の音声ガイドを借りて、主要展示物の説明を見て回ると、全く知らない衝撃の事実が次々と😱

(まあ、私の勉強不足ってことで。そんなこと知ってるよ。とおっしゃる方は、私の無知を鼻で笑ってやってください😅)

🟩親鸞聖人の先祖は、藤原鎌足ふじわらのかまたり


親鸞聖人の系譜をたどる家系図を見ると、一番古い系譜には、なんと

「藤原鎌足ー藤原不比等ふじわらのふひとー〇〇ー〇〇ー」

と書かれているではありませんか!

藤原鎌足と言えば、大化の改新で活躍した飛鳥時代の貴族で、藤原不比等はその息子です。不比等は、平城遷都の際、飛鳥にあった厩坂寺うまやさかでらを移築し、興福寺に改名したと言われています。興福寺は、法相宗の大本山で、以前かの地を訪れた際のnoteはこちらに↓↓

そして皮肉にも、親鸞聖人が生涯を通して伝えた念仏仏教(南無阿弥陀仏)は、「修行で仏の悟りを開くべし」というこれまでの仏教とは全く違う教えなので、多くの僧侶や朝廷らの怒りを買い、流刑に処せられます。その怒りの中には、親鸞聖人の先祖である藤原不比等が尽力した法相宗大本山の興福寺も入っており、先祖も敵に回してしまった様子😭

いやぁ。こういう展示を見ていると、家系図、自分のルーツをたどるのは、非常に興味深いですね。私も自分の家系図を作ってみたくなりました。実際にご自身のルーツをたどる活動をされているもののふ椿さんは、本当にすごいなぁと思いました。

🟩わずか9歳で比叡山へ出家


幼いころに父母を失くし、世の無常を感じた親鸞聖人は、わずか9歳で比叡山へ出家しようと比叡山天台宗の座主、慈円の下へ赴きます。しかし「今日はもう遅いから明日でもよいのではないか」と慈円に諭されてしまいます。その際、

「明日ありと思う心の仇桜、夜半に嵐の吹かぬものかは」

(花見は明日でもいいじゃないかと思っていると、今日夜のうちに嵐が来て桜がみな散ってしまうかもしれないではないか)

という句を読んで、その日のうちに得度したという伝説があります。これは、浄土真宗を学ぶ方は皆さん知っていると思われる有名な句なのですが、なんと、この親鸞展では、

「この句は、和泉式部か一休禅師が読んだものとされる、という説がある」

という解説が!旧知の史実だと思っていたのに、こんな説があるとは。全く知らなかった💦時代的に、一休禅師の方が親鸞聖人より後なので、可能性があるとすれば、和泉式部の方でしょうね。その句を知っていた親鸞聖人がつぶやかれたのかもしれません。真偽のほどはわかりませんが、諸行無常を読んだ素晴らしい句であることは間違いありません。

🟩三種の浄肉じょうにく


皆さまご存じの通り、仏教では、肉を食べません。精進料理と言われる通り、動物性の物は食べない(卵を含めて)という戒律があると思われていますよね?(私はそう思っていました)しかし、親鸞聖人は、

肉食妻帯にくじきさいたい


といって、今までの僧侶にあるまじき行為と非難され、妻をめとり、肉を口にするとんでもない坊主だと揶揄されていました。私はこれは、親鸞聖人が、

「人は欲にまみれて、煩悩を捨てることができない。人間は、煩悩具足ぼうのうぐそく凡夫ぼんぶである」

ということを自ら体現されることによって、「そんな親鸞でもお救い頂ける阿弥陀仏のお力は計り知れない」という教えを広めたかったのではないかと思っていました。

ところが、涅槃経に、三種の浄肉という例外が書かれていたというのです!
三種の浄肉とは、

1.目の前で殺されていない肉
2.自分のために殺されていない肉
3.自分のために殺されたと疑いのない肉

これら3つの条件を満たす場合、動物の肉でも食してよいとお釈迦様が説いているというではありませんか!もう驚き以外の何者でもありませんでした。

ウィキペディアによると、「初期仏教の僧が托鉢の際、自らが戒律中五戒の不殺生戒を犯さない布施の場合は肉食してよい」と書かれており、つまり、

◆托鉢は他人の余りものを物乞いして食するという意味(乞食こじきの由来)
◆他人の食事の余りものを食べているのだからその肉を食べようとも間接殺にはならない(今風に言うと、『ザ!鉄腕!DASH!!』のゼロ円食堂的な?)
◆他人から物乞いして食べ物を享受している立場にありながら、食事に好き嫌いを示すのはよろしくない
◆托鉢で受け取ったものはすべて食さなければならない(獣の肉しか提供できない者からの布施を拒むことは、善行を積む機会を奪うことになる)

ということらしいのです。

一緒に行った主人曰く、「そんな都合のいい解釈あるんかいな?」
確かに、「殺生は罪」と言っておきながら、例外があるというのは、都合のいい解釈と言われても仕方ないかもな😅と。仏教は奥が深すぎて底が全く見えません💦

凡夫の私には、仏教は簡単には理解できませんが、「三歩進んで二歩下がる」ぐらいのペースでゆっくり自分の中に落とし込んでいけたらなと思っています。

やっぱり本だけじゃわからないことがたくさん。実際の展示物を見たり聞いたりすると、知らなかったことを一気に知ることができて本当に楽しくて有意義な時間を過ごすことができました。これほどたくさんの資料を集められた博物館の皆様、貴重な機会をありがとうございました😄


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