【三題噺】以心伝心

お題: クッキー、縁側、泡立て器  



何だか胃がむかむかするなぁ。
俺は、ボウルに割り入れた卵を泡立て器でかき混ぜていた。カシャカシャと軽快な音を立て、白身と黄身を混ぜ合わせてから、砂糖を加えてさらに混ぜていく。
泡立て器に生地がくっつき始めたので、時々ボウルの端に当てて落としてみる。
それからバニラエッセンスをひと振り、ふた振り。ふんわりと甘い匂いを鼻が捉えた。途端に胃のあたりから猛烈なせり上がる感覚を覚えたので、思わずそっぽを向いてしまう。
(気持ち悪い)
しかし、吐き気はするものの、逆流する気配はない。食事を摂ってからだいぶ時間が経っているからだろうと自分を納得させる。
(そういえば美紗子も気持ち悪い、と言ってたなぁ)
食事の支度をしながら、顔を顰めていた妻の姿を思い出した。昼過ぎに仕事を早退し、病院へ行ってくるとメールがあった。シフト勤務の俺は元から休み。元気のない妻のためにとお菓子を作っていたのは良かったのだが、気分不快まで移ってしまったらしい。
あらかじめふるっておいた小麦粉を加えて木ベラでかき混ぜ、生地を半分づつに分けた。
半分にはチョコチップを、もう半分は美紗子の好きなナッツを入れて混ぜる。天板に生地をスプーンで載せ、余熱で温めておいたオーブンへ。
時間が経つにつれて、香ばしく焼ける匂いが漂ってきた。
気がつくと、ナッツとチョコチップのクッキーをお皿に山盛りになるほど焼いていた。ちょっとふたりで食べるには多いかもしれない。
焼きたての香ばしさと甘い匂いに思わずむせ込んだ。何だか、俺までおかしくなったか?
空気の入れ替えを思いついた俺は、庭に面した引き戸を思い切り開けた。
祖父から受け継いだ一軒家は今時珍しい平屋建てで、縁側にちょっと広い庭もある。美紗子が帰ってきたら、ここでお茶を飲もうと俺は考えていた。
胃のムカムカが取れない。
蛇口をひねり、水を出す。コップを持ってくるのが面倒だったから、手で掬ってうがいをする。二度目は飲んだ。
「ただいま」
美紗子の声だ。おれは慌てて玄関まで出迎える。多少青ざめた顔をしているようだが、口元には笑みが浮かんでいた。
「おかえり、どうだった?」
美紗子はちょっとはにかみながら、俺の耳元にくちびるを寄せた。そして、囁く。
「……本当?!」
「間違いないって」
俺は思わず美紗子を抱きしめた。
来年の今頃は、新しい家族ができる。その喜びで吐き気は吹き飛んでしまった。

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