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日航123便墜落事故(事件)㉙〜123便事故検証動画『わくてかちゃんねる』で取り上げられた第一通報者の中嶋さんの手記。その内容より考えたこと

今回は、『ワタナベケンタロウ動画』同様、123便墜落事故検証でお馴染みのYouTube『わくてかちゃんねる』第42回を見て、思ったことを。

機が墜落する様を目撃し、第一通報者(の一人)として警察に通報したほか、当日のニュース番組や後年の検証番組で証言をした中嶋初女さん(長野県南佐久郡川上村。川上村は墜落した群馬県との県境に位置)による手記をとりあげたもの。手記が書かれたのは事故翌年のこと。そんな代物があったとはまったく知らなかったが、墜落時の様子に始まり、その後の彼女の行動、後日、村で体験したことなどを詳細に綴ったもので、こちらの予想を遙かに超えた衝撃的な内容になっている。

ちなみに、NHKの検証番組(2015年)で紹介された彼女直筆の絵があまりに(うますぎて)有名だが、調べたところ、事故の10年後に本を出しており(自分は未読)、クリエイターとして絵や文の才能をしっかり有している人らしい。

彼女の手による絵

それはともかく、貴重な話づくめの中、自分が特に気になったのは、事故の数日後にジャンボ機が再び、川上村の上空にあらわれて、事故機と同じような飛び方をしつつ、何度も旋回していったということ。以下は、『ワタナベケンタロウ動画』に寄せられたコメント。

やはり、フツーに考えて、不思議に思う箇所といえる。いや、「墜落までの経路を調べるためにやったんだろうよ」と考えるのは十分可能だが、代わりの調査用の飛行機ではなく、わざわざデカいジャンボを飛ばしたというのがなんとも衝撃的というか、自分は奇異に感ずる。

この調査について、当時、テレビや新聞では報じられたのだろうか。たぶん、報じられていない気がする。報じられていれば、フツーに流布され知られてていいレベルの話だろう。

いまだったら、スマホで撮られて、ネットにガンガン上げられるであろう話。そのあたりは肝心の事故の際にも言えることだが。

続くコメント欄にはこんなものが。

うむ。陰謀論的に大いにありうる話だとは思うが、証拠がないので断定はできない。ただ、いわゆる「飛行機のフライトレコーダー」ではなしに「ジャンボのフライトレコーダー」に航路をインプットさせる必要があった、ジャンボを飛ばすしかなかったという論法は容易に浮かぶ。

この後日の飛来の話はもっと詳しく知りたい。何時頃現れて(そこに至る経路も。静岡県や大月市など、ほぼほぼ忠実にコースを飛んだのか?)、正確に何分ぐらいグルグル旋回していたのか。できれば、彼女には再びイラストを描いてもらう形で。

中嶋さんの記憶の中には、案外、まだまだ埋もれ忘れられているものがあるんじゃないか。そんなことも考えてしまった。


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