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注目のレースクイーンにしてグラドルとしても活躍中の藤井マリーさん。彼女の祖父が西鉄クリッパースの監督だったことを知り、プロ野球好きとして無性に気になり始め、調べてみることに

 現在、日本レースクイーン大賞2021のファイナリストとして注目を集める藤井マリーさん。グランプリ発表は1月15日で、ファンの投票の様相は加熱、文字どおり、ラストスパートの態勢に入っている。

 そんな中、遅ればせながら自分が知ることになった「彼女の祖父が西鉄クリッパースの監督だった」という事実。

 熱烈なベイスターズ・ファンであり、アイドル界きっての野球通としても知られる彼女。なるほど、野球好きの源泉の一端はそこにあったという……。

 祖父の名前は、宮崎要。1950年に一年だけ存在した西鉄クリッパースの監督を務めた歴史的人物。調べたところ、選手兼任監督であり(入団時33歳)、開幕戦では1番・二塁手で出場している。かっこいい!(結果的に規制打席到達で打率は.294! 新人王級の活躍を果たしている。凄い!)。

 あらためて調べたところ、宮崎氏は社会人野球を経てプロ入りしたわけだが、1年目がそのクリッパースのプレーイング・マネージャーだった!

 そうして、翌年、同チームは同じ九州の西日本パイレーツと合併し、西鉄ライオンズとなるわけだが、そこでも監督を務めていたという。要はライオンズの初代監督。総監督として名将の三原脩が迎えられたが(言うまでもなく、のちのライオンズ全盛期を作り上げる)、1951年、1952年の2年間は監督として君臨。「三原−宮崎」のタッグでライオンズ野球の礎は作られたといっていいだろう。ライオンズ史的には1951年からは三原政権となっている模様だが、そのあたりの厳密な実情は大いに検討、記述されてしかるべき気がする。

 まったくもって、今回初めて知ったことばかり……なのだが、そもそも、西鉄ライオンズの前身として西鉄クリッパースがあったこと自体自分は知らずにいた。

 ネットで検索すると、当時のチームの実情を記したサイトがいくつも存在している。

 新興球団ということで、当然のように思うよう勝ち星はあげられず、120試合戦って、勝率は.432(ちなみに自分が好きな楽天イーグルスの初年度の勝率は.281)。

 よけいなお世話ながら、勝率.432のチームとは昨今でいうとどんな感じなんだろう? と調べてみたら、2016年から2018年までの中日・森繁和監督時代の勝率が.431。ファンからすると忸怩たる思いにかられるチームの実態か。

 とはいえ、プロ入り1年目でいきなりプレーイングマネージャー任された宮崎氏の野球、結果を、勝率だけで他チームと単純に比較はできないというもの。ナンセンス(自分で調べ記しておいてなんだが)。楽天の初年度の成績と比しても、相当に健闘した1年だったといっていいだろう。

 初年度の楽天といえば、近鉄の若きエース・岩隈久志が加入したことが特筆されるが、クリッパースも巨人の大エースの川崎徳次(のちに西鉄監督を務める)をトレードで招聘していた。調べたところ、「最初の試合で肘を故障し、12勝に留まった」などと書かれているが、故障しながら12勝はいまでは到底考えられない話。戦後プロ野球の凄みがうかがい知れる。

 以上、こんな感じで。藤井マリーさんの話から、自分なりに調べ、雑感を記した次第。さらに気になった方は各自でネットにあたっていただきたい。

 実は藤井さんに関してはもう少し書いておきたい部分もあるが、それはまた機会をあらためて。ここでは最後に、10月に綴られた彼女のブログを読んでいただければ幸い。

 最後の最後。本稿を記すにあたっては、グラドル(裏?)事情にめっぽう詳しく(良い意味でフィクサー的存在)、熱烈なベイスターズ・ファンとしても知られるいさむ氏の言に多大なインスパイアを受けたことも挙げておきます。

 


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