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人気特撮シリーズ『太陽の戦士レオーナ』の名ヒロイン、大川成美インタビュー〜グラドル以前、ソフトボールで国体に出場するまでの波乱&濃密な歩み特別編 第3回(ラスト回)

――話の情報量がありすぎて、なんだかよくわからなくなってきましたが(苦笑)。ソフトに打ち込みながらちゃんと勉強もされていたんですね。
大川 勉強のほうで入って(笑)。私立で、普通コースと情報処理コースと特進コースっていうのがあって、ワタシは特進のほうに入ったんです。特進っていうのは大学進学に向けて勉強をするコースで。校舎も違って、勉強も1時間多くするんです(笑)。
――そのうえでソフトの練習もやるという。
大川 練習には1時間遅れて行くんです。
――それはスケジュールパンパンのさすがの大川さんでも大変だったんじゃ(笑)。
大川 大変でした(苦笑)。
――練習は中学以上にキツいんですよね。
大川 ああ、でも、その高校は県大会でベスト8ぐらいのところだったんですね。
――なるほど、そこまでめちゃめちゃ強豪校というわけでもないという感じですかね。えーと、国体に行った話が前提にあるのでどうしても先走って聞いてしまいがちですが(苦笑)。では、国体への道はそこからどんな経緯で?
大川 フフフ。3年生まではわりとフツーに過ごしていった感じなんです。ソフトもやって、勉強もしてって。朝練には朝6時半の電車で行かなきゃいけなくて、無遅刻無欠席を通したので、大変だった時期もあるんですけど。ワタシが3年生のときに、夏の大会は県のベスト8で終わって。で、別の高校が優勝して、その高校が国体に行くことになるんですけど、選考会で4人ぐらい別の高校から入れるみたいな話になってその中の1人にワタシが選ばれたんです。足が速いという理由で。
――不勉強ゆえ初めて知りましたが、なるほど、そういうシステムがあるんですね。都市対抗の社会人野球でそういうシステムありますよね。
大川 そういう感じですね。でも、ほかの3人はベスト4の高校から選ばれたんですけど、ワタシだけベスト8の高校で、「どこの子?」みたいな(苦笑)。
――まあ、プロ野球のドラフトでもそういうケースはいくらでもあるわけですが。にしても名誉で、すごいことですよね。
大川 みんな170センチぐらいあって大きい子ばかりなのに、ワタシだけ小さくて(笑)。*大川さんは155センチ
――異色の選出というのは間違いないという。
大川 そういうのを買われたというか、「たまーに奇跡を起こす子」みたいな感じで、そこの先生に見られていたんですね(苦笑)。高校1年生のときの大会で、そこの高校とやったとき、唯一ワタシが盗塁を決めたことがあったんです。
――唯一?
大川 そこの高校は木更津総合高校なんですけど、3年生のキャッチャーがのちにオリンピックに行くことになる峰(幸代)選手で。
――えーと、北京大会と東京大会で金メダルに輝いた日本代表選手……。
大川 その方から唯一盗塁をしたことがあって(苦笑)。
――すごすぎる話(笑)。大川さんもすごいですが、その盗塁を憶えていたその監督さんもすごいですよね。いや、もちろん、大川さんのほかの実績、長年の経験なども買われてのことだと思いますが。
大川 そのとき、その先生がむちゃくちゃ怒ってて(苦笑)。それは憶えているんです。
――「格下の1年生の選手になに走られてるんだ!」って。
大川 そうだと思います(苦笑)。
――盗塁はどんどん決めてた感じ?
大川 やってましたね。あと、高校に入ってからは三振をするようになったんで、フツーのヒッティングじゃないものをオリンピック選手に教えてもらったんですよ。地方の大会に出ると、オリンピックの選手が教えに来てくれることがよくあるんですよ。そのときにスラップって打ち方があって……。
――スラップ?
大川 歩きながらというか、走りながら打つっていう。
――ああ、わかりました(笑)。
大川 サードとショートのあたりに打って、ゴロになったら絶対セーフっていう。
――オリンピックの大会でよく見ました。
大川 サードとショートがビビッて、次、下がったりするんですよ。変なバウンドしたら空中に浮いてるだけで走れるじゃないですか。そういうバウンドする打ち方とか……。
――当たり前ですが、高度な技術ですよね。
大川 難しいんです。サードとショートの守備位置を見て、急にセーフティバントに変えたりとか。
――そのあたりは野球と一緒ですよね。
大川 とにかく絶対セーフになればいいだけの話なので。1年生のときに初めてスラップを教えてもらって、ひたすらそればかり練習した時期もありました。
――へええー。
大川 そういうのがあって国体に選ばれたと思うんです。
――進塁の確実性ですね。それでしっかりベンチ入りしたという?
大川 しました。人数が決まってて最終的にベンチに入れない子もいるんですけど、自分は代打とか代走という形で出て。
――いや、十分立派ですよ!
大川 一部のネット記事見たら、「全国大会最優秀選手に選ばれた」とか書かれているんですけど、あれは前の事務所が勝手に言ったもので(苦笑)。
――ハハハ。wikiあたりにも載ってますが、そういう経緯が……(苦笑)。
大川 ハイ。(事務所をやめて)フリーになってからはそういう話はないということで(苦笑)。
――その話を確認できたことも本日の収穫の一つですよ(笑)。
大川 ハハハ。実際、中学のときの関東大会ではそういう賞はいただいているんです。ただ、自分の中では「全国レベルでもないし……」っていうのもあって(苦笑)。
――なるほど。いや、堂々と言っていい話だと思いますけどね。
大川 やっぱり国体レベルの話じゃないとって。国体のときの話をすると、ワタシ、ケガをしていたんですね。骨折をしていて。
――あ、そういう実情もあって……?
大川 国体は秋にあるんですけど、その前の夏の大会のときから骨折しながらやっていたんです。大会前に踵を剥離骨折して、でもやりきりたいっていう思いがあって出て、そんな中で国体に選ばれて……。
――ケガをおして出場したわけですね。
大川 最後は自分の意志ではあったんですけど、親にも相談して……。いや、チーム的にも出てよかったと思います(笑)。
――やっぱり足の速さ……、試合において機動力も大事ですからね。
大川 そうなんです。試合に向けて、“一発屋”みたいなところにも行きました。阿部(慎之介)選手とかが行ってたところとか。
――ああ、整体整骨系の……。
大川 それでなんとか足の調子を整えて。
――そのあたりは根性というか、理屈抜きの部分もありますよね。
大川 もう、卒業したらソフトはやらないという覚悟というか。これで燃え尽きますっていう感じ。ソフトがオリンピックの競技から外れたって事情もあったんですけど。
――えーと、2008年の北京オリンピック以降の流れですね。なるほど。
大川 仮に大学とか実業団に進んでもオリンピックという目標がないって。もう最後、悔いを残さないようにって思いですね。だから、そのあと、なにをやりたいかわからないって感じになって……。
――文字どおり、燃え尽きたわけですね。
大川 とりあえず、運動はしないで、女の子みたいになりたいかなって(苦笑)。そういう中で事務がいいかなって思うようになって。事務員で就職すればいいやって考えて。それで結局、特進クラスに入りながら、専門学校に行くんです。
――本来なら大学に行くべきところを。
大川 ほかのみんなはそうでしたね。ただ、ワタシの場合、秋に国体に出たので勉強する時間がなくて。で、専門学校は国体に出たっていうのを考慮していただいて入ったんですね。結果的に高校も専門学校もお金かけずに行くことができたんですけど。
――やっぱり国体とか大きな大会に出ると当然進路的に有利ですよね。
大川 そうなんです。
――えー、『月刊ソフトボール』ばりに(?)、ソフトボールについてここまで長く語っていただいてありがとうございます。
大川 ハハハ。インタビューでここまで詳しく話したことはなかったのでワタシもよかったです(笑)。

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