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人気特撮シリーズ『太陽の戦士レオーナ』の名ヒロイン、大川成美インタビュー〜グラドル以前、ソフトボールで国体に出場するまでの波乱&濃密な歩み特別編 第2回

――そのときはレギュラー? ショートを守られていたという話ですが。
大川 いや、そのときはまだ1年生だったんで、全然出られるレベルではなくて。一応ベンチにはいるんですが、2年生もいるし、試合には出られない時期。なんですけど、なぜかそこで、代打で出されたんです。
――なんとも劇的な展開!
大川 そうしたら、唯一ワタシだけヒットを打っちゃって(苦笑)。
――ああ、先輩たちがまったく打てない中……。
大川 目をつぶって打った球が、サードベースにポコって当たってフェアになって、セーフになっちゃったんです(笑)。
――やはり、野球マンガみたいな展開(笑)。
大川 「なんだ、この子は?」みたいになっちゃって。それこそ、その相手ピッチャーというのが国体に選ばれたピッチャーだったんです。たまたま目をつぶって、ちょっと早めにスイングしたら当たっちゃったんです(笑)。
――完全に「なにか持ってる」という流れですね(笑)。
大川 そこからレギュラーになるまでは時間がかかったんですけどね。やっぱり、高いレベルの中でやってるので。
――プロ野球もそうですが、一回や二回じゃなく結果は毎回出さなきゃいけないわけで。
大川 ソフト部がある中学が5、6校あったんですけど、結局、ウチの学校は一回も県大会では勝てないレベルだったんです。
――ああ、ああ。高校野球しかり、千葉県はレベル高いはずですからね。
大川 高いです。ウチの学校、地区の大会では勝てるんですけど、そこからが……。監督がすごい怖い先生で、その先生の教えでずっとやってたんですけど、ワタシが2年生のときに異動になっちゃったんですね。あんまりハッキリしたことは憶えてないんですけど、「お前ら、そんなんじゃ絶対勝てないからな」というようなことを言って、先生はいなくなって。ワタシの1学年上の先輩があまり強くなくて、練習が上手く回らないことがあって。そういう中で隣の中学からコーチやってた方が来ることになるんですけど、その先生が数学の先生だったんですけど、理論的に体幹を鍛えるって指導をする方で。いまではそういう教えは当たり前なんですけど、当時はあまりいなかったんです。で、ワタシが2年生のときは思うように勝つことができなかったんですけど、3年生のときに関東大会でベスト8まで行っちゃったんです。
――根本的にシステムや考え方を変えていった成果で……。
大川 野球の名作マンガで『やったろうじゃん!!』(※原秀則のマンガ。90年代に『ビッグコミックスピリッツ』で連載)っていうのがあるんですけど、そのマンガで描かれてることを参考にして練習をやるようになって。先生がグラウンドの整備とかネットとか全部やってくれるんです。手作りで。芝生もすごくキレイにして、「ここまでが外野、ここまでは内野がやりなさい」みたいに徹底的に教えられて。筋トレの道具もペットボトルにゴムをつけて、とか。フツーに練習するんじゃなくて……。
――いろいろ斬新なアイディアを取り入れて、これまでとは違った意識で打ち込めるというか。
大川 そうなんです。で、最初はそのマンガを知らなくて、最後の大会始まるときに「このマンガを全員回して読め」って言われて読んだら、マンガどおりにやってきたことがわかって(笑)。それで気合いが入って、関東大会ベスト8まで行って。
――マンガどおりにしっかりやってきたんだから、そのとおりの結果になるはずだと。
大川 ハハハ。いや、そのときも本当に奇跡みたいな勝ち方をしていって……。
――気づいたら、あれよあれよという間に。
大川 うんうん。本当にそんな感じでした(笑)。
――この世界に入ってここまでの10年もそうですが、ターニングポイントというか、要所要所で結果を残してきているっていうのはありますよね。
大川 ああ、ああ。(ちょっと考えつつ)高校に入ってからは、ダンスが全然できなくなっちゃったんです。
――あ、中学時代、日々ハードにソフトボールに打ち込みながら、ダンスもしっかり続けていたんですね(苦笑)。
大川 やっぱり芸能の世界には憧れがあったので(笑)。でも行く時間がなくなっていって。
――関東でベスト8まで行くような強い部活だったら、ほかのことやるのはさすがに無理という。
大川 仲のいい友達はダンスを練習していたんですけど、「ワタシは練習でクタクタでもう行けない」って(苦笑)。その子は陸上部だったんですけど、続けてましたね。
――体力もそうですが、時間もないですよね。朝練とかから始まって……。
大川 朝練はなかっ……、いや、ありましたね。やってました(笑)。
――ハハハ! あまりにいろんなことがありすぎて、記憶が曖昧?(笑)。
大川 外周を3周するぐらいとかなんですけど。ランニングを中心にやってましたね。
――そのマンガどおりに。
大川 先生は無口でなにも言わないんですけど。ひたすらトレーニングさせられて……、ホントに全部理にかなっちゃったっていう(苦笑)。
――大川さんが中学の頃って、千葉ロッテの監督のボビー・バレンタインがチームをいろいろ改革を施していたような時期ですかね。試合中は勝負がつくまでは一貫してポーカーフェイスで通したり……。大川さんのチームとはまたちょっと違うかもですが(笑)。
大川 あの頃のロッテは強かったですよねえ(笑)。(頭の中で思い出しながら)ああ、ああ、先生は数学の先生だったので、いろいろ考えて教えてくれましたね。
――選手として、やってておもしろかったんじゃないですか。
大川 楽しかったですね。先生が選手の性格を読める人だったから。気が強かったピッチャーの子じゃなくて、ワタシをキャプテンにしたり。
――あ、大川さんはキャプテンだったんですね?
大川 キャプテンで、ショートで1番でした(笑)。うーん、そのピッチャーの子は気が強くて、三振を取らないと気が済まないような子で。逆にワタシは打つほうで三振は取られたくないっていう。チームの中でもそういう関係があって、それを見て先生は仕掛けていた部分もあったのかも(笑)。
――同じチームといえど、ライバル関係という図式は必要ですからね。
大川 そうですね。練習のときもチームは別々にして。副キャプテンはめっちゃ怒るけど、ワタシは見せる側というか。後輩たちはそういう面を見たり、憧れてついてくるという感じもあったから。役割分担はしっかりできていたんですよね。
――監督のめざす形だったんですね。
大川 そういうのが見えてる先生だったんですね。
――ちゃんと選手の個性を見抜いて。
大川 そうだったんだと思います。人間性を見ながら、ポジションを決めたり。打線を組んだりとか。
――「三振はイヤ」って話も出ましたが、その頃の大川さんの打率ってどのくらいだったんですか。
大川 すごかったですよ(笑)。7割ぐらいとか。三振したことなかったですから。
――ああ、やっぱりそのくらいのレベルじゃないと、ベスト8にはなれないという。
大川 ずっと三振したことなかったんですけど、県大会で……。ベスト8まで行った夏の大会の前の春の大会で1回戦負けしたんです。そのときに初めて三振したんです。それが悔しくて、春から夏にかけて猛練習して、ベスト8まで行ったんです(笑)。
――やっぱり関東大会とかなるとレベルがまた一段違うという話ですよね。
大川 こんなレベルの人がいるんだ~って(苦笑)。それまでバットに球が当たらないということはなかったので。
――ただ、そこからさらに高みの世界へと入っていくわけですよね。中学を卒業して、先ほど話に出た高校へ進学するという。
大川 うーん、ただ、やっぱりダンスも続けたかったんですね。で、ダンスの先生に相談に行って。そうしたら、「いまできることを全力でやっておいたほうがいい」というふうに言われて。
――「ソフトボールを続けなさい」ってことですね。
大川 そうなんです。で、ワタシ、高校には勉強特待という形で入ったんですけど(苦笑)。
――ソフトボールの推薦とかではなく?(笑)。
大川 勉強のほうで入ったんです(笑)。
(第3回に続く)

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