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日航123便墜落事故(事件)㉘〜落合証言より。奇跡の生存者の落合由美さんが機窓から富士山を見たのは、どのあたりだったのか?

少し前に、生存者でアシスタントパーサーの落合由美さんが機内から見た富士山の内容から、事故調査委員会が示した飛行経路は違うのではないかと書いた。

左の窓から見えてきた富士山。前方から見えてきて、後ろに消えていった富士山。勤務中に見てきた一番の近さと同じくらい、相当近くに見えた富士山。

自分は例の飛行経路図ありきで考えたゆえ、静岡県の静岡市、藤枝市あたりから山梨県大月市方面(いずれも目撃情報あり)へ向かう過程での富士山を想定したわけだが、一部の人間から「それは違う(んじゃないか)」旨の忠告をいただいた。

あらためて、落合証言のその箇所、その前後を読んでみるとーー。

彼らが言わんとしていることはすぐにわかった。彼女が見た富士山は、機の墜落が近々に押し迫る時系列の中でのそれということになる。

不覚。

ただ、では、どういうことになるのか? 大月市上空旋回から相模湖上空を飛び、横田基地近辺まで行ったあと、羽田空港とは逆の西の奥多摩町上空を飛び(ここで例の写真が撮られる)、そこから機は実は富士山方面に……?

彼女が見た富士山が左の窓から見え、前方から後方に流れていった経緯を踏まえると、そんな経路が浮かんでくる。

一方でネットの書き込みを見ると、くだんの大月市旋回の際、機が北上する過程で見えたものではないかとの見解がいくつもあり、どうやらそれが目下、大方の認知になっているらしいことが窺える。

ただ、やはり、「富士山視認後、機は大揺れ、急降下」といった彼女の記憶を踏まえると、時系列及び位置的に、機は富士山の近くまで行ったのではないかという見解のほうが自分にはしっくり来る(大月旋回直後に急降下というのは早すぎる)。墜落を目の当たりにした長野県川上村の住人の証言によると「機は山梨県方面から飛んできた」とのことで、辻褄は合う。

問題はそのときの機の高度。終盤の過程では明らかに富士山の高さより低い高度を飛んでいたはずだが、機が右に大きく傾いた中で左側の窓から見た富士山だったら、どうか? 必然、その山はやや下方に見えて不思議でない。

一方でそのルートだと、例の埼玉県での複数の目撃情報はどうなるんだ? ということにもなってくるが……(自分が固執する埼玉県中央部上空の飛行)。あらためて、横田基地近辺以降の飛行のプロセスとして、いったん埼玉県方面に行ったあとに旋回、南下しつつ奥多摩町〜山梨県方面〜富士山の北側〜長野県川上村〜御巣鷹山の尾根、という流れを(流れも)仮説の一例として自分は考えてみたい。

ひとつ言えるのは、東京都の西部、埼玉県の南部、山梨県の北部、長野県の南部、群馬県(長野県や埼玉県の県境。御巣鷹山の尾根)というのは、案外に、極めて狭い範囲であるということ。それに関しては、「あくまで織田祐二が言う地名、地域内であるなら」という条件付きで、元・航空自衛隊員の知人から大筋の同意を得た。

まっすぐ飛ぶことができずにフラフラ迷走し続けた123便が、結果的に狭い範囲をグルグルあちこち彷徨ったと考えると、特に不思議なルートではないと思われる。

むろん、これらはあくまで仮説の推論。まだまだ核心を突くべく考証が必要なのは言うまでもない。

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