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岩井俊二監督の初期の名作『PiCNiC』の撮影にエキストラで参加した、あの暑い暑い夏の思い出のハナシ・3日目(最終日)

エキストラ参加の撮影3日目。この日は、初日2日目とうってかわって、特段暑くもなく、穏やかな晴天だった……はず(なんせ、28年前の記憶)。

というか、記憶が鮮明じゃないのには理由がある。この日は「役者・織田祐二」(オイ!)にとって、特にトピックというものがなかったから。初日のような監督からの提案や(偉そうに言うな)、2日目のような、カメラの前で■■病患者の熱演を要求されることはなかった。

この日の撮影場所は月島。正確な場所は当然まったく憶えていないが、確か、4、5階ぐらいの建物の屋上。シーンとしては、以下の画像。絵を描く患者らに医師の伊藤かずえが話しかける場面だ(この日は、Charaら主役陣は見ていない……ハズ)。

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我が心のアニキのへらちょんぺさんはアップで映っている! 

末席のエキストラの自分のスケッチブックにはなにも描かれておらず、当然、彼女が自分のところに来るわけもなく、文字どおり、背景としてのエキストラ。離れた向こうでなにかゴチャゴチャやりとりやってるなあという感じで、確か、一緒に行った数人と小声で喋ってるうちに終わった気がする。時間にして3、40分ぐらいか。そのあと、しばし待たされたような感もあるが、結局新たな撮影はなく、それで終わったはず。

正午ぐらいには我々の役目は完全に終わり、そのあとは「せっかく月島に来たんだから」と、近くのもんじゃ焼き屋に入って、打ち上げがてら食べて飲んだ……ことはハッキリ憶えている(自分は大の酒好き)。その日参加した我々一行の布陣は、へら(ちょんぺ)さん、友人にして現・映画監督(及び映像ディレクター)のN氏、その後舞台女優になる女の子、ライターの先輩の某氏に自分の5人だったが、撮影終盤に意気投合した男女3、4人も加わり、賑やかな食事(飲み)会になった。

とにかく、当時の岩井俊二監督はまだまだ無名であり、まさか、あの連日の撮影があんなエキセントリックな名作に仕上がるとは、参加したエキストラの誰もが知る由もなかったと言っていいだろう。

先にも記したように、初日の撮影に関しては相当な悔いも残るわけだが、まあ、仕方がない。28年前のあの夏の3日間、猛暑にかこつけて(初日と2日目)ドタキャンすることも途中バックレることもなく参加した思い出は大切にしておきたい。


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