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《議論の整頓》日本人自身が無認識な『旭日旗』の現在位置

韓国からの『嫌旭日旗』議論は些末な部分にも及んでいる。ただしこの記事中に引っかかる箇所がある。

旭日旗に関しては中国や東南アジアの国から苦情は出ていない。そもそも韓国側が旭日旗を批判するようになったのは最近だ。2011年のサッカー・日韓戦で当時韓国代表MF奇誠庸がゴール後のパフォーマンスで「猿まね」を行った。日本人に対する差別行為の指摘を受けると、「観客席の旭日旗を見て涙が出ました。私も選手である前に大韓民国の国民です…」と弁明。会場で旭日旗は確認されなかったが、この一件以来、韓国国内で旭日旗を「戦犯旗」と主張する運動が高まり、旭日旗を連想させる海外のデザインに対して抗議のメールや電話が殺到して撤去を求める出来事が世界各地で起きている。

「苦情が出ている出ていない」で判断するのは甚だ疑問でいかにも傲慢だ。これは『支配者視点』の人間がよく使う言い分だ。

『歴史健忘症』と言われる日本人は大義名分はともかく、日本軍が攻め込んだ多くのアジア諸国は終戦後、必要な賠償を受け、未来の為に政治判断で日本への責任追及を放棄してくれている事を忘れてはならない(“忘れる”というより教わってすらないが)。

事実『親日国』と語られる台湾も、例えば私の知人の台湾女性は「祖父が日本軍に殺された事をどうしても許せない」と涙を見せていた。私にはこの体験事実から、日本が勝手に『親日国』とレッテルを貼った国にも様々な人々の感情がある事を実感した。『国家』の次元と『民間』の次元では大きな差がある事は承知しておきたい。

『旭日旗』に対する記憶も同様に日本軍の蛮行被害を受けた国々で感情的な意見もあると考えるのが自然だろう。もちろんこれは日本のみならず世界中でも同様の構図が存在する。

さて『旭日旗』の議論は縷縷あれど、どれも歯切れが悪いのは結局当の日本人がこれに関して殆ど確かな認識が出来ていないからであろう。

今回もまず私の立場を示しておくが、自衛隊は『国防軍』と早期に改名し日本は「普通の国」になって欲しい。その為には戦勝国による敗戦国への懲罰項である憲法9条第2項は削除の必要があると考えている。ただし同時に政治権力の暴走には監視が必要とも考えている。

——これは少し前の記事だが、日本国として記事中に外務省の説明と加藤官房長官からのコメントの引用がなされている(記事中は菅義偉氏であったが、ここでは最新の加藤氏に差し替える)

「今日でも、旭日旗の意匠は、大漁旗や出産、節句の祝いなど、日常生活の様々な場面で使われている」と解説している。
外務省のホームページは、旭日旗が第2次世界大戦でどういう役割を果たしたかに触れることなく、旭日旗について申し上げれば、その意匠は日章旗同様、太陽をかたどっており、大漁旗、出産・節句の祝い旗等、日本 国内で現在までも広く使用されているものであり、特定の政治的・差別的主張である等の指摘は当たらないものと考え ております。 政府として、韓国を含め国際社会に向けて、このような旭日旗の掲示が政治的宣伝になら
ないという考えを累次の機会に説明しており、今後ともそうした説明を継続していきたいと考えております。という加藤官房長官の説明を載せている。

これらは「現在日常生活で使われている」と既成事実・状態を説明しているだけで「敗戦を機にGHQの監視下で『旭日旗』が廃止されたにも関わらずなぜ現代に『旭日旗』が存在しているのか」の説明を果たしていない。問題はそこなのだ。

また「国際社会においても広く受け入れられている」としてパリのパレード、中国、韓国での掲揚例を写真で挙げているが「受け入れられている」としたいのならば「受け手側の声」も併記するのが望ましい。それがなければ「勝手な主観」に過ぎず何ら説得力は持ち得ない。これは冒頭の「苦情が出ている出ていない」の言い分同様、傲慢な「支配者視点」の傾向を感じる。

これら総ての『旭日旗』議論では、日本の戦争で確かに『日章旗』とは別に戦地ではためいていた『旭日旗』までは認識していても、敗戦後に廃止された筈の『旭日旗』が陸上自衛隊(八条旭日旗)と海上自衛隊(自衛艦旗)それぞれがなぜ復活したかの理由と経過をしっかり確認をしようとの努力を放棄している。だから韓国への批判など感情論に帰すだけなのだろう。

しかしその理由は明白で、当時の(旭日旗が復活した)経緯に関する資料・情報が極めて少ないのだ。それによって時の総理や官房長官までその事実経緯を知らぬまま既成事実を語るしか手がなくなっているのだ。

そこで当方は素朴なこの疑問を調査すべく現存する、我々が入手可能なほぼ唯一とも言える資料『聞書・海上自衛隊史話』を紐解き、以前noteに記した。

内容を要約するとGHQ廃止のタイミングを待ってアリバイ的に「新たなデザインを模索する」手順を踏んだかのような段取りを経て強引に『旭日旗』を復活させた。しかしここに関わる人物は総て元大日本帝国軍人であり、現実的に、客観的な民主主義的決定プロセスも存在せず、誰も止めようがなかったが「火事場泥棒」と言われても仕方がない拙速さを感じる。

少なくともこの書に記された「相当の抵抗はあるかも知れない(164P)」「国民感情などを考慮(同上)」などの文言があり、旭日旗復活への用意周到さからは、今も事情を知らぬものが口にする「日本の日常でハレの日に掲出される旗であり何の問題はない」は誤解であることが分かる。

当時でさえ公然と復活を進める事に対して起こりうる軋轢は充分に承知しており、現代ではすっかりそれを健忘している——というよりこの経緯はこれまで説明がなされてこなかったがゆえの「日常の旗」なのだ。

また『旭日旗は日本の伝統』との意見があるが、日本人が好んだ旭光が『旗』となったのは151年前の1870年(明治3年)に『大日本帝国陸軍旗』として採用されたのが最初とされており、もう『近代』と呼ばれる時代であったし当時からすでに『軍旗』だった事は抑えておきたい。

では何かと騒がしいスポーツの場での『旭日旗掲揚』はどうだろう。まず3年前の2018年10月に韓国による「海上パレード旭日旗拒否問題」を確認しておきたい。この記事中にこうある。

国際観艦式の参加国に対し、韓国は海上パレード中は艦艇上に自国の国旗と韓国国旗だけを掲げるよう通知しました。日本から参加する海上自衛隊の自衛艦旗「旭日旗」の掲揚自粛を求めたということになります。軍艦旗に当たる自衛艦旗の掲揚は、軍艦と民間船舶を区別するために課せられた国際ルール。韓国側の要請は常識に反すると言わざるを得ません。
「韓国(の要請)は国連海洋法条約違反と、日本の国会で内外に発信すべきです」「日本の軍国主義を連想するからとの理由だが、国際的な慣例で定められたことを、自国民の感情に左右されていいのか。国際社会の一員ならばわがままを慎まないといけない」

これは全くその通りで海洋法に関する国際連合条約(UNCLOS)では日本は民間船舶旗として『日章旗』、軍艦旗として『旭日旗』で識別されている。ちなみに「自衛隊」との呼称はあくまで日本の内政的な都合で、国際的な認識は単純に「軍」である。

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さてこうなると、今度は海洋法に関する国際連合条約で『軍艦旗』と認識されている旗をスポーツの場に持ち込んで良いものだろうか、となる。参考までにこんな角度で見解を出した記事がある。

しかし記者である清義明氏もやはり『旭日旗の復活理由』を識らぬがゆえに一般論の域を出ない。だが前述のように『軍艦旗』と国際認識されている旗を客観的な視点で、スポーツの場に持ち込んで良いと私は到底思えない。

——私が今回確認した全体を結論すると旧大日本帝国軍人が自国の誇りの象徴とも言える『旭日旗』を、もはや本能的にどんな手段を使っても復活させたかった。しかしそれは結局『過去の栄光の象徴』であって未来の日本に果たして必要だったのかは疑問がある。

それによって、やり方が強引であった事のしわ寄せが現在になってそっくり日本に降り掛かって来ているようにも感じる。

強引に復活させなければ今般の様に他国やスポーツの場で「そうとは知らない」日本国民が不必要に振り回される苦労もなかったのではないか。

——ここで現在の実情を確認したい。まず陸上自衛隊の連隊旗である八条旭日旗は式典でのみ掲揚され自衛隊の精神を問う場面に限っての出番になっている。

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2003年の自衛隊イラク派遣での陸上自衛隊の装備は日章旗のみだったが『イラク特別措置法部隊』の艦隊で呉から出港した輸送艦『おおすみ』と横須賀からの護衛艦『むらさめ』の二隻はクエートまでの航行でありこちらは「海洋法に関する国際連合条約」上『旭日旗』がマストに掲げられていた。

つまり国家としての現状では、ほぼ一般国民が日常目にすることのない海洋上でしか『旭日旗』は使用されておらず、露出はごく控えめであり、3年前の韓国による「海上パレード旭日旗拒否問題」のような事象は稀で、むしろ『旭日旗の来歴』を知らぬ日本の一般人がことさら「日本の精神性」を示さんとスポーツの場に持ち出す『旭日旗』こそがわざわざことを荒立てているのかも知れない。

それを「所詮韓国だけが騒いでいる」と甘く観ている向きが多いように感じるが、私は楽観視していない。例えば場がサッカーWCであればFIFA(国際サッカー連盟)が、ACLであればAFC(アジアサッカー連盟 )が問題化した場合ジャッジをする事になるが、現時点で先の記事にあるようにすでに『旭日旗』の使用は運用上は禁止であり、むしろ『Jリーグ』や『JFA』が政府見解を引きずることで国際基準から取り残されている実態があるからだ。

これ以上問題を日本側が根本理解をしないままならば、具体的に厳しい事態を引き起こすかも知れないと私は恐れる。現在世界的に人権感覚の潮流は「被害者重視」へ向かっている。

最後に、私は日本の未来を背負うであろう理想の『国防軍』には未来の『日本の国防』を示す御旗を、全く新たに決定した上で掲げて欲しいと願っている。世界に胸を張り堂々と日本の国防軍として世界平和の貢献に寄与して欲しいと思うのだ。


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