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高市早苗氏、堂々の「私は憲法を無視する」宣言

一般人は日頃、政治家を例え口では罵ったり批判をぶつけていても内心では「国会議員はそれだけの資質がある人物だ」と信じ込んでいるもので、無意識にそういった文脈で話を聞いている。しかし私は代議士秘書経験から、彼らのグレードをある程度承知している。

現在自民党総裁選で連日報道では賑わいを見せていて、たんなる1党の総裁選とはいえ、ここで選ばれる総裁=総理を意味する事に加え、次回で第100代総理大臣となり、その節目で日本初の「女性首相誕生」の可能性もあり大変な話題である理由もわからなくはない。

しかし高市氏は以前から靖国参拝に迷いがなく、今回もそこを糺す質問が向けられている。そこで今回引用の記事ではこう答えている。

靖国神社への参拝に米国の理解を求める考えを示した。「米国や中国に互いの国の命を落とした方に敬意を表しあおうという働きかけを一生懸命する」と語った。
「外交問題にしようとするほうが問題だ」と指摘した。「信教の自由がある」と述べ、総裁選に勝利し首相に就任しても参拝を続ける意欲を改めて強調した。

実はこの短い文の中で2つも認識間違いがある。それはまず「靖国参拝は外交問題」としていると言うこと。しかしそれはあくまで結果論で、本質は憲法問題であり、すなわち我々の問題なのだ。そして現役閣僚に「信教の自由」はない。

ここで該当する憲法20条を確認しよう。

第二十条
信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。
何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない。
国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない。

——毎年終戦記念日の現役閣僚による靖国参拝に意義を唱え抗議文を提出している全日本仏教会ではこう指摘している。

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高市氏は「信教の自由がある」と述べているが、虚心坦懐に憲法20条を読むと『国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない』とあり『国及びその機関』は政府とそこに関わる現役閣僚を指し、与党であっても非閣僚職責や野党議員はこの限りではない。

——たとえ国会議員であっても「それはそんな感じの事なのだろう」と専門外の憲法条文はまともに読んだ事もなく、浅い認識のまま過ごしている事実がある。要するに憲法20条の『国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない』は個人内面としての信仰は認めていても『日本政府の閣僚としては信教の自由はない』とかなり明確かつ強力にそれを禁止している——が、皆そこの議論にならない。

なぜここまで「まさか」と思うほど政治と宗教の距離に強い警鐘が込められているのか。それが太平洋戦争中の国家神道とそれを所轄していた内務省の「政教一致体制」でありGHQは「日本が戦争に加担した原因のひとつ」と考えていた何よりの証左ではないだろうか。平和を求める日本国民がここに危機感がないのはどういう事であろうか。

さて——つまり高市氏の「靖国参拝をする」との見解は「私は憲法を無視する」と堂々と語っているという事になる。

憲法は国民側から政府に向けた書き方になっている。つまり今回の高市氏の問題は外交問題として中韓やアメリカ間の話ではなく、我々国民が「総理にならんとする人物なら憲法を遵守せよ!」と糾弾すべき由々しき事態だと思うのだ。

それにしても繰り返すが政府を常に監視し攻撃してきた野党や左派リベラル支持者がこの部分をまったくピンと来ていない事は、高市氏と同様に大きな問題で、思想の自由を保証された根幹である憲法20条を日本人はあまりにも軽んじている事を私は今回の件でさらに危機感を抱くに至った。

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